『都会の小さな町めぐり』新宿区編⑥。新小川町から大久保通りを後楽園駅方面に歩くと緩い坂。
しばらく行くと6叉路となるが、これが筑土八幡町交差点である。交差点の手前の民家には『筑土八幡町』一番地の表示板。
筑土八幡町はその名前の通り、筑土八幡が町の中央にあり、この部分は高台となっていて関東管領・上杉時氏が筑土城を形作っていたと言われる。現在566世帯、906人の人が居住している。
大久保通りの反対側は『津久戸町』となり、読み方は同じだが表記の仕方が違う。これはかつて筑土八幡が平河町にあり、周辺を津久戸村と称していた。その後、この地に神社は移転し、筑土と表記を変えたが、津久戸村(町)は従来の表記を踏襲したものという。
2番地には熊谷組本社があるほか、東京新宿メディカルセンター、津久戸小学校があるものの、住民は僅か69世帯98人のみである。
大久保通りに戻り、左に曲がる。かなり古くからあると思われる材木商や今はバー椿々というバーになっている古民家など味わいがある建物も残っている。
次の信号あたりからが『白銀町』となる。白銀町とは美しい名前であるが、慶長年間に江戸城改修のため、田安付近の貧民を幕府が移転させ、開創したが、その際に芝白金に居住していた白金長者(柳下氏)に肖りたいとして付けた名前と言われる。
この町も小さいが、マンションが多く建設されている。瓢箪坂という真ん中が窪んだ坂の上には白銀公園というこの周辺では珍しく施設が整った大きな公園で都会のオアシスとなっている。