『関東城址めぐり』その10。今回は稲付城址を歩く。JR赤羽駅東口からイトーヨーカドーの方に歩き、5分ほどのところを右に曲がると稲付城址にもう到着する。
この城は太田道灌が築城したもので石段の下には『都旧跡 稲付城跡』とある。ここから50段ほどの石段を登ると静勝寺の山門の前に出る。
このお寺は太田氏の菩提寺である。ただ、道灌が築城したかは確たる証拠はない。ただ、太田道灌の子息である太田資康・資高父子が在城していたことは『小田原編年録』に載っている。
その後、太田資高は江戸城主になるが、上杉氏から北条氏に寝返り、北条氏を江戸城に招き入れた。
石段を登り、山門をくぐった右側に大きな石が5つ置かれているが、これは1987年に大規模な発掘調査をした際に出てきた遺構の一部が残されている。
また、境内に入ったすぐ左側の植え込みとの間には段差がある。これは土塁の跡のようだが、残念ながら中には入れない。
突き当たりにあるのが、道灌堂。この中には太田道灌の木像が置かれている。毎月26日には公開されるようである。
静勝寺の縁起は雲綱和尚(道灌の師)が稲付城の一部に1504年道灌を弔うために道灌寺を作ったと言われていてその後自得山静勝寺と改めた。
道灌堂のお隣には弁天堂、さらに本堂がある。境内には大きなイチョウや松などがあり、駅至近にもかかわらず、静けさに包まれたお寺にはぜひ足を運んで頂きたい。ただ、城探索としては空堀など遺構もあまり見つからず、単なる小高い丘ということしかわからなかった。
道灌堂の横にもう一つの出口があり、これを左に曲がると『稲付城跡の坂』となる。S字にくねくねと曲がった坂で降りると石段の下に出る。
坂の下から眺めてもやはり城址の跡はよくわからなかった。