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『東京の坂、日本の坂』その222。今回は東池袋のサンシャインから雑司ヶ谷を通り、護国寺までの坂道を巡る。
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サンシャインシティは中核の高層ビルサンシャイン60が竣工したのが1978年ですでに46年が経過している。だからサンシャインが東京拘置所、いわゆる巣鴨プリズンの後に建設されたことを知る人も少なくなってきているように思う。
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サンシャインシティの裏手には首都高速道路東池袋ランプがある。その前の通称・坂下通りを歩くと左側に東京国際大学の巨大な校舎が現れる。そのまままっすぐ行くと都電(サクラトラム)の踏切に至る。
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池袋から大塚3丁目に抜ける便利な道なのだが、あまり混雑していない。左側にはこじんまりした銭湯がある。
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その先の信号には『開運坂下』とある。ここから右手に登っていくののだが、説明板に『柔道創始者である嘉納治五郎の邸と道場が坂上北側にあり、彼が命名。開運坂道場と呼ばれた』という趣旨のことが書かれていた。
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また、坂下には駐在所があるのだが、私が子供の頃にはここに大日本愛国党の党本部があり、街宣車が走っていたことを思い出す。ただ、彼も1990年に亡くなり、今は名残もない。
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開運坂は坂下通りを直角に右に曲がり、坂上で左にクランクしている。その先は護国寺の境内の裏をまっすぐ歩く。
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右手に小さく『福田稲荷』という石碑がある。直角に曲がると細い参道、石の鳥居の奥には赤い鳥居が3つ、さらに石の鳥居があり、奥に小さな祠が置かれている。
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中にある石柱の一部には『宝暦十二壬年・・』とあるので1762年、つまり江戸時代のものであろう。ネットで調べると『元和』(1615〜1624年)頃に創設されたものらしい。
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再び護国寺の境内裏の道を歩くと不忍通りに出る。これを渡ると雑司ヶ谷墓地が広がる。学生時代に友人の下宿があり、よく遊びに行ったのだが、その頃と雰囲気は変わっていなかった。(以下、次回)