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『ぶらり橋巡り』その101、今回は玉川上水を歩く。スタートはJR中央本線武蔵境駅、駅も高架になり、立派になった。南口と北口の間に自由通路もでき、北口側に行く。駅前ロータリーを抜けて『すきっぶ通り』と名付けられた商店街を北に向かう。商店街は一部休業している店もあるが、結構な賑わい。
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商店街を抜けるとそのまま北に武蔵境通りが伸びる。ちょうど白やピンクのハナミズキが見頃で美しい。まだ古い店や空き地もちらほら、のんびりとしている。
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少しいくと玉川上水に出くわすが、この橋が桜橋。上水沿いに桜が植えられていて比較的新しい橋だが、これは武蔵境通り拡張に伴い平成11年に架け替えたもの。
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その国木田独歩の文学碑が左側に建てられていて『武蔵野』の第6章の書き出し『今から三年前の夏のことであった。自分は或る友と市中の寓居を出て三崎町の停留場から境まで乗り、其所で下りて北へ真っ直ぐ四五丁ゆくと桜橋がある。』と彫られている。
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玉川上水に沿って上流を目指す。堤にある歩道は大きくなったソメイヨシノが邪魔をして歩きにくい。
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歩道にはタンポポの黄色い花だけではなく、ツリガネニンジンやダイコンの紫色の花やイフェイオン(はなにら)の白い花などがたくさん咲いていて美しい。
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次に出てきた橋が『独歩橋』、昭和44年にかけられた。国木田独歩から名前を取った小さな橋である。
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また、すぐに橋が出てくるが、これが『うど橋』。地元の名産である独活(ウド)は江戸時代吉祥寺で栽培が始まったと言われている。橋のたもとには『今から180年前(天明5年頃)より土地の人々は薪炭を作り、また落葉の温熱で軟化独活特産地として有名になった。このたび由緒ある玉川上水への橋をかけられるにあたって特産地の名をとどめるため独活橋と命名されたものである。』と刻まれた石碑がある。
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この石碑は昭和40年3月25日とあったが、白い石に刻まれていて現地ではよく読めなかった。
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この辺りぬ何らかの理由で切り倒された木がいくつもあり、これが腰掛けるのに良い高さに調整され、天然のベンチのようになっている。
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少し歩くと水番屋の跡がある。江戸時代は上水を保守管理をする役人がいた詰所で明治に入り水衛所に名を変え、淀橋浄水場廃止に伴い、昭和55年に廃止された。その先には玉川上水の石碑がある。
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『境橋』がすぐのところにあり、五日市街道と交差する。さらにここで千川上水が別れ、玉川上水は北に向かって流れていく。(以下、次回)