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『東京の坂、日本の坂』その155。気がついたらブログ記念日(このブログの第一回投稿が2013年5月23日のため、勝手に決めている。今回で9年経過)を忘れていた。中途半端な9年ではなく、10年目は記念した書き込みでも大々的になどと考えている。
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今回は谷中の坂道を歩いてみる。一部はかつて日暮里から訪ねたことがあるが、纏めて歩くことにした。前回の千駄木・根津の坂道とは不忍通りを挟んで反対側。根津駅で下車、不忍通りを渡り、一本入って上野方向に歩き出す。
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ガイドマップにも載っている『はん亭』という串揚げの店の前まで行く。建物は珍しい木造三階建、まあ再建築不可だろう。建物は1917年に建築、1999年には登録有形文化財となっているが、今の店主が1978年に前の地主から建物を譲り受け、店を開業。私も文京区に住んでいた1980年頃からよく通った店である。
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かつて根津宮永町といい、根津神社の宮元にあるため、地名がついた。向かい側にも松田邸という立派な和洋折衷の日本建築が残されている。
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周りは茶色の板塀で囲まれ、樹木もきれいに剪定されていた見事な邸宅である。
少し歩き、お蕎麦屋さんが出て来たらこれを左。実はこの『蕎心』にも寄ろうと思ったが、列ができていたのであきらめた。
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ここからは暫くまっすぐ歩いて上野高校を目指すのだが、その途上にも素晴らしい家屋が並ぶ。山小屋風のもの、かなり古く傾きかけているものなど様々である。
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突き当たりが上野高校だが、これを右折、さらに信号の先の交番を左折すると最初の坂道『清水坂』が現れる。読み方は『しみずざか』、すぐそばに『きよみずざか』もあるので注意が必要。坂下から左に弧を描きながら上る長い坂道だが。案内板によると坂近くに弘法大師にちなむ清水が湧いていたため、これに由来する。また、この付近は清水谷と呼ばれており、昔は木が生い茂り日中でも暗かったので『暗闇坂』という別名もある。
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振り返ると左側に赤煉瓦の建物があるが、これは昔の変電所。現在は上野動物園の倉庫として使われている。ブラタモリで紹介されたことがあったようだ。
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坂を上がると右側に上野高校の正面入口、通りを挟んでグラウンドがある面白い構造になっている。道は右の方に曲がるが、そのまままっすぐ行く。
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次の通りが『三段坂』、上手いネーミングで下から二段目の所に出る。ただ、標識には『台東区史にはこの坂について「戦後、この清水町に新しい呼び名の坂がここ屋敷街の大通りに生まれた。段のついた坂で三段坂と呼ばれている。(戦後とは第二次大戦後であろう)」という記事を紹介する一方で「清水町はこの地の旧町名でこの坂道は明治20年版にはなく、同29年版地図が描いている。従って明治20年代に作られた坂である。」とある。
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よく読むと不思議なのは前段では第二次大戦後作られた坂道、後段で明治20年代に作られた坂道と時期が全く付合しない説明となっている。(以下、次回)