hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

時刻表机上旅行の楽しみ①

2020-09-03 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その263。コロナ禍もあり、普段の年ならば必ずどちらかへ旅行に行っていたのに。
今年は家で古い時刻表でも眺めて旅行気分を味わうことにする。それにしても昭和39年9月号時刻表のページをめくると現在に比べて急行・準急の多さと各駅停車の運行距離の長さに驚く。

例えば東海道本線の東京駅発を比較してみる。現在は東京駅発で最も長いのが沼津行、23駅126kmである。一方、昭和39年9月では名古屋行、大垣行、大阪行、姫路行などがゴロゴロある。

実際に乗ったらどうなるのだろう。東京発5時20分で大阪まで行ってみる。現在の時刻表では東京発5時20分の沼津行に乗ると三島0711、静岡行で静岡0828、浜松行で浜松0943、大垣行大垣1147、米原行で米原1246、新快速姫路行で1413、かかる時間は8時間53分、東京〜大阪は556.4kmだから時速62.6km/hとなる。

昭和39年9月では東京発5時20分の名古屋行に乗ると名古屋着は1334、1355発の京都行で京都着1732、1744発の神戸行で大阪着は1819、12時間59分で到着していた。わずか乗換えは3回だが、時速換算すると42.8km/hとなる。(全て電車)
この大きな差は現代の米原〜大阪に利用した新快速が80km/hで運行されていることが大きい。まあ、これを除いても60km/hは出てはいるが。

次に大阪〜博多を見てみる。今度は昭和39年9月から見ると大阪からは東京始発の夜行各駅停車姫路行0502に乗車、姫路着0645、0657門司行に連絡しており、門司着2020、同発2038久留米行で博多着2202、17時間ちょうどで博多にたどり着く。乗換は3回、しかし、時速は37km/hととにかく遅い。これはひとえに姫路〜門司が客車であり、480kmを13時間23分、時速に換算すると時速36km/hしか出ていないからである。

現代の時刻表で見ると大阪発0524の加古川行に乗車、西明石発0641播州赤穂行に乗換。姫路で0731新見行に乗換、さらに岡山、糸崎、岩国、下関、小倉と乗換、1840に博多到着。7回も乗換があるため、乗車時間11時間48分に対して要した時間は13時間16分と1時間28分も待合わせ時間がある。それでも時速換算(含む待合わせ時間)すると48.2km/hとなる。

乗換が少ない56年前と比較しても車両の進化もあり、要する時間は大幅に短縮されている。しかし、まだ、新幹線もなく、姫路から門司まで13時間も客車に揺られ旅をするのもいいものだろう。それにつけてもコロナ制圧が待たれる。

駒形どぜう〜浅草グルメ

2020-09-02 05:00:00 | グルメ
浅草に来たからには行きたい店はたくさんあるが、今回は『駒形どぜう』にお邪魔した。店は雷門からは5分ほど、駒形橋からすぐのところにある老舗である。

店に入ると昔は下足番がいて履き物と下足札を交換してくれたものだが、小規模にしているからなのか若い女性店員が預かってくれる。大きな杉板に火床を置いてくれる。通常は一列に10人以上が並んで座っていたはずだが、今はソーシャルディスタンスを意識して、2〜3組程度しかおらずガラガラである。


ビールで乾杯すると火床が到着、最初は『裂き鍋(開いたどじょう)』から。いつもはネギが木でできた箱に入っているが、使い回ししない様に皿にネギが乗る。ネギをどじょうの上に載せ、鍋がぐつぐついってきたらネギと共にどじょうを食べる。

久しぶりだが、やはりどじょうは美味い。因みに『どぜう』なのは4文字がいけないから3文字にしたと昔聞いた気がする。

2皿目は『丸(どじょうをそのまま酒で煮込んだもの)』にする。酒はます酒にするが、これが鍋には良く合う。どじょうを頭から食べるのだが、これが全く骨など気にならない。



しかも『裂き』はせいぜい10匹程度だが、『丸』は20匹以上入っている。真夏ながら前に炭を炊いて、どじょうを食べるのは精がつく。



この辺りで鯉のあらいが登場。氷で冷やした鯉の刺身は酢味噌でいただく。ひんやりとした身がこれまたます酒によく合う。



気がつくと丸鍋をさらに1皿、ます酒を1升半、十分に堪能できました。なお、駒形どぜうは1階は炭火、2階はガスなのでじっくりと昔の風情を楽しむのはやはり1階に限ります。(但し、1階は4人程度までの様子)ご馳走さまでした。

駒形どぜう
台東区駒形1ー7ー12
0338424001

コロナ後の浅草散策

2020-09-01 05:00:00 | 日記
夏休み最終日(と言っても3日だけど)らコロナ禍となってから中々行けなかった浅草寺に急にお参りしたくなった。しかし、まだ暑い日が続くため、クーラーの効いた部屋でうだうだ、ようやく家を出たのは午後3時半、途上の地下鉄の中で浅草寺の入口は5時に閉まることを思い出す。何とか浅草駅に4時35分に到着したため、雷門に急ぐ。

浅草は久しぶりだが、とにかく人が少なく、雷門あたりは人力車の車夫ばかり目立つ。さらに雷門をくぐって仲見世を歩くが時間が遅いからか、歩く人がいないだけでなく、店も半分は閉まっていて仲見世の入口から宝蔵門の『小舟町』の字がはっきりと見える。



本堂前は敷石の工事中でやや大回りするが、それでも何とか4時45分に本堂に到着、普段ならとても到着していないハズである。賽銭箱の周りには誰もいない。空いていていいがあまりに寂しい。それでも観音様にコロナ退散を長い間お祈りした。



本堂を出て、二天門の方に歩くが、この辺りには色々な石碑がある。正観世音菩薩碑、喜劇人の碑、映画弁士碑、曾我廼家五九郎の碑、浅草観光の碑など多数あるが、古い碑は何が書いてあるのかもわからないほどである。



二天門をくぐるとかつては雷おこしの店があったはずなのだが、いつのまにかセブンイレブンになっていた。その隣は木馬座という大衆演劇。ここには人だかり、人気があるようである。



比較的最近オープンした『まるごとニッポン』という全国の名産品を売るビルに入る。開業当初に来たことはあったが、インバウンドの減少のせいもあり、ガラガラ。2階は職人技を見せるエリア、3階は全国名産品販売コーナーもテナントが減ってしまっていた。

僅かな期間で観光地が大きく変わっていることは色々な報道では知っていたが、インバウンドと地方からの観光客、さらに高齢者がいなくなると浅草はこんなに静かになるのかと驚き、コロナが収束することを祈らずにはいられなかった。

背後にはスカイツリー、風景は変わらないが、大きく変わってしまった浅草の黄昏は寂しかった。