hokutoのきまぐれ散歩

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時刻表机上旅行の楽しみ③

2020-09-27 05:00:00 | 鉄道
『鉄道シリーズ』その279。昭和39年9月号を使った机上旅行も3回目となった。日本全国のなかで鉄道地図が当時と今が最も変わったのが『北海道』というのは間違いない。当時と比べ、廃止になった路線は主なものを挙げても江差線、広尾線、札沼線(一部)、名寄本線(日本中で本線と付く路線で唯一廃止)、羽幌線、池北線、天北線などキリが無い。


私は今でも学生時代に乗ってよかったと思われる湧網線や標津線、一方で列車が遅れたおかげで遂に乗れなかった興浜南線、学生時代でもすでに廃止されていた根北線や白糠線など気になる路線は多数ある。

列車に目を移してみると当時の時刻表には三階建(起点もしくは終点が同じで3つの行先の車両をつないで運行する)急行がある。函館1110発の急行オホーツク(網走行)、急行宗谷(稚内行)、急行摩周(釧路行)である。(『オホーツク』はその後北海道で初の特急〔札幌〜網走〕となった記念すべき愛称。私のハンドルネームも北海道の特急『北斗』から取ったもの。)



まずは列車編成が面白い。1〜3号車は札幌〜釧路のため、函館発の際には連結していない。先頭から4〜6号車は急行摩周(釧路行)、7〜10号車は急行宗谷(稚内行)、11・12号車は北見止まりのオホーツク、13〜15号車は急行オホーツク(網走行)となっている。よく行き先を確かめないと大変なことになる列車である。

函館を出た後は函館本線を北上、長万部から室蘭本線、千歳線を経由して苫小牧1451、札幌1552、再び函館本線に戻り、滝川で急行摩周を切り離し、さらに旭川で急行宗谷を切り離し、急行オホーツクは石北本線経由で北見には2150到着、2両を切り離し、終点網走に2242に到着する。

では急行摩周はというと滝川からは釧路本線に入り、釧路に2241に到着。急行宗谷は宗谷本線経由で稚内に2243に辿り着く。つまり、この3つの急行は1分違いでそれぞれが終点に到達するのである。(走行距離は摩周が691km、宗谷は692km、オホーツクは670kmである。)

もう一つ変わった列車が『準急旭川』、この列車、愛称が観光地や名所ではなく都市の名前を取った珍しい愛称なのだが、実は旭川発旭川行なのである。1540に旭川を出発した列車は石北本線を通り、遠軽まで行く。ここで名寄本線(廃止済)に入りオホーツク海側を北上、中湧別、興部を経由して名寄2111到着。ここからは稚内から来た準急礼文に併結されて旭川に2242に到着する。

旭川を出てからぐるりと7時間もかけて回るのだが、名寄本線が廃止されてしまった今では残念ながらもう走らせることはできない。

他にも北海道には普通列車なのに寝台車が
併結されていた等、面白い列車はまだまだあるが、これは次回に。