hokutoのきまぐれ散歩

ブログも12年目、4000日に到達。ネタ探しはきついけどまだまだ毎日更新を続けるつもりです。

万葉軒〜人形町ランチグルメ

2022-02-08 05:00:00 | グルメ
人形町交差点あたりを歩いていたら確かダイニングバーだった場所が香港飲茶の店となっている。外見は殆ど変わらなかったため、気づかなかったのかもしれないが、開店は昨夏とのこと。

入口のメニューを見るとセットで1350円とかなりこの辺りでは高めの設定。ただ、飲茶2品付きというのも興味があり、入店。時間は11時40分、しかし私以外はお客さんはいない。店の入口は狭いが奥に長い店で座敷もある。たぶん、居抜きのまま中華屋になった感じで違和感あり。

メニューは坦々麺・ワンタン麺・牛バラ煮込み麺・角煮麺などの麺と店のおすすめ飲茶2品で1350円(単品も可)。私は坦々麺+飲茶2品にした。

店内は厨房に2人、フロアに1人。いずれも中国の方らしく日本語は分かりにくい。5分ほどで料理が到着。
まずは坦々麺、見た目は普通、ミンチとほうれん草が乗っていてあまりラー油の赤が目立たない。麺は浅草開花楼だけあって喉越しが良い。スープの味は芝麻醤の味が強く、甘みは少ない。ただ、それほど特徴があると言うほどでもない。

『本日の飲茶』は焼売と春巻。辛子をお願いするとすぐに提供してもらう。まず焼売はやや大きめ、中身が歯応えが良く味もいい。

春巻は揚げたて、かなり熱い。醤油に辛子を解いて付けるが餡がしっかり味が付いていて醤油なしでも充分。筍やもやし、豚肉、椎茸などたっぷり入っていて大変美味かった。やはり、飲茶が売りの店だけあって、ほかにも多数ある飲茶メニューを食べながら酒を呑むというのがいい店のようだ。

最後に杏仁豆腐を頂きました。十分に満腹。結局、私が帰るまで他に客は来なかった。麺は普通、飲茶はかなり美味い店、ただコスパにはやや難ありという感想である。ご馳走さまでした。

万葉軒
中央区日本橋人形町3ー7ー10
05055700951

新宿・中野間の坂道①

2022-02-07 05:00:00 | 坂道
『東京の坂・日本の坂』その147。坂道を歩くのも久しぶり(前回投稿は昨年10月)である。今回は青梅街道を新宿〜中野坂上まで歩く。東京メトロ丸の内線西新宿駅は1996年5月と同線の中では最も新しい駅である。



1番出口を上がると目の前に青梅街道が走る。これを右方向に歩き出すがゆっくり下っている。この坂道が『成子坂』、道路が拡幅される前に作られたような案内板がある。



ただ、心無いいたずらもあり、説明文はよくわからないが、成子神社があるのでその前の坂道からついたのであろう。



そばには小さな祠があり、お地蔵様が祀られている。『成子子育て地蔵尊』は1727年成子社の北面に造られた由緒正しい地蔵だったが、1945年の空襲で壊滅。1951年に有志の手で再興、さらに地区の再開発に伴い、不燃化された立派なお堂に祀られている。



再び青梅街道を渡り、少し先に向かう。すると成子天神社の参道入口となり、細い参道が続く。こちらも地区の再開発に伴い作り直されたもので参道には大国様や恵比寿様の石像もある。



鳥居をくぐり、山門を見るとカラフルな風神・雷神が中にいらっしゃる。



祀られているのは天神様、すなわち菅原道真公でちゃんと撫牛像はあるが、コロナ禍のため触れてはいけないようである。



立派な本殿にお参りする。こちらも本坪鈴は鳴らさないようにと書かれているのが面白い。境内には立派な神楽舞台が設えてあるが、そのすぐそばには超高層ビル。これが新宿である。(以下、次回)

四川料理 川味園〜人形町ランチグルメ

2022-02-06 05:00:00 | グルメ
コロナ感染者の急増と蔓延防止措置の影響なのか、1月27日頃から朝の通勤電車が空きはじめ、これに伴いランチのレストランからも人が居なくなった。

事務所から近いホテルの地下にある四川料理の『川味園』は激辛料理の水煮牛肉が有名で以前に夏ということも忘れて頼んだところ全身から汗が噴き出したというエピソードもあるお店。寒いこともあり、昼にお店にお邪魔するが先客は1名と3名の二組のみ。



名物は麻婆豆腐、麻婆春雨、川香石鍋豆腐、鉄板川味もやしと辛いものが多い。今回は麻婆豆腐ランチ(850円)をお願いした。

比較的早く到着、まずは麻婆豆腐から一口、ぬるくはないが熱くない。作り置きしたものだろうが、お客さんが来ないから回転しないからかも。ただ、熱くて辛いから美味いのに残念である。味付けはやや甘めだが、中々美味い。

やはり麻婆豆腐はご飯が進み過ぎる。添えてあるスープや漬物は塩味のため、味を変えながらいただいていく。ご飯は食べ放題だが、この年になってそんなには食べられない。

食後のデザートに手作り杏仁豆腐がついてくる。一口食べるとアーモンドの香りがしてほろっと口の中で溶ける食感は辛い食事の後は素晴らしい。ご馳走さまでした。



川味園(せんみえん)
中央区日本橋人形町3ー3ー6
03.36687688

『吊り出し』はレアな決まり手になったのか〜大相撲雑感

2022-02-05 05:00:00 | 相撲
このブログで大相撲の話題を書くのは初めてだが、実は子供の頃よりTV中継をよく見て育った。一番好きだった力士が初代貴乃花、あれだけの細い身体で大きな力士相手に五分に渡り合うのがよかった。彼は低い体勢から立ち会いをして、何とかまわしを掴み、頭を付ける体勢が得意だった。

実は珍しいことに2022年初場所は見る機会が多かった。風邪をひいて休んだこともあるのだが、両大関はともかく、横綱照ノ富士と関脇御嶽海の活躍に平幕の阿炎が絡むという三すくみがよかったのかもしれない。

ただ、子供の頃見ていた頃と今の相撲は随分違う。まず、最も変わったのは力士の大きさだろう。
昭和の時代には100kgに満たない力士でも充分勝てる余地があった。例えば2021年の大相撲の決まり手は1位押し出し、2位寄り切り、3位叩き込み、4位突き落とし、5位寄り倒し、6位突き押しの強い力士の決まり手ばかりである。逆にかつてよく見たとったりは19位(52回)、吊り出しは33位(17回)、うっちゃりは37位(14回)と極めて少ない。比較のために1968年の統計を見てみると1位寄り切り、2位押し出しは同じだが、3位寄り倒し、4位上手投げ、5位吊り出しとかなり違う。特に『吊り出し』は当時よく見る技であった。 

昭和43年というと私は10歳、当時は横綱が佐田の山・柏戸・大鵬、大関が玉乃島・北の富士・琴桜・豊山、関脇が清国・前の山と錚々たる力士がいた。一方で小兵の力士は海乃山、藤の川、明武谷、睦奥嵐など結構いたものである。

私が当時注目していたのは、個性的な若浪というソップ型の力士。とにかくうっちゃりや吊り出し、上手投げを最初から狙ってくる強者。この春場所は2横綱が休場したこともあり、前頭8枚目の若浪が13勝2敗で幕内総合優勝したのだが、面白いことに若浪は大関以上には当たらないままの優勝だった。

100kgギリギリの小兵力士だった若浪はトレードマークが長いもみあげ、腕の力が強く、押されると滅法弱い。彼の幕内351勝のうち、吊り出しが80、うっちゃりが56、上手投げが38と今ではほとんど見られない決まり手で勝負する職人気質の力士であとた。

吊り出し

うっちゃり

別に『ねこだまし』などサーカス相撲が好きな訳ではないが、個性派、今でいうと宇良、翔猿、炎鵬(十両)といった力士が活躍するのも大相撲をさらに面白くさせるのではないかと思う。翠富士のような『肩透かし』を決め技に持つ力士も嬉しいところである。


まあ、当時外国人力士は高見山しかいなかった時代だから今とあまり比較にもならないかもしれないが。私的には当時の方がワクワクしたように思える。

わ蔵〜御徒町ランチグルメ

2022-02-04 05:00:00 | グルメ
東京でも博多ラーメンがあちこちで食べられるようになり、珍しくもなくなったが、『博多豚骨』という文字を見つけるとついつい入りたくなる。

御徒町駅近くに色々なラーメン屋が軒を連ねている一角がある。御徒町ラーメン横丁と名付けられ、『青葉』『蒙古タンメン』『ナンツッ亭』『つけめんTETSU』などが軒を連ねる。新顔が『わ蔵』という板橋区に本店がある博多ラーメンの店。

店に入るとあのトンコツの香りが微かにする。券売機で食券を買う方式で悩んで『青ネギラーメン』(850円)を選択する。食券を出すと固さを聞かれ、『普通に』とお願いした。

店はカウンターと4人掛けのボックスが4つくらいあり、意外に広い。メニューを見ると『豚ちゃんカレー』が人気がある模様。カウンターの前は細長い厨房となっていてラーメンを作っている。

私のラーメンも5分足らずで到着。チャーシューが2枚、それ以外は青ネギで丼は覆われている。まずはスープからいただくが、トンコツの割には粘りが少なくさっぱりしたイメージ。

次いで麺を啜るが本場よりは僅かに太い麺、喉越しがよく、中々美味い。メンマ、コンブももちろん入っている。少しいただいた後に紅生姜とすりごまを投入、味が変わってこれもいい。

ここで100円支払って替え玉をお願いする。硬さは『粉落とし』から『超やわ』まで6種類ある。殆どの人は『かた麺』を頼むが、私は『普通』、というのは比較する硬く出てくる事が多いからである。

ただ、どうしても替え玉を入れるとスープが薄くなるのが玉にきずである。
全体的には本場に比べてさっぱり、東京を意識したトンコツラーメンであることは否めないが、しっかりとしたチャーシューも含め充分楽しめる事ができた。ご馳走さまでした。
わ蔵 御徒町店
台東区上野5ー10ー14
0368900667

『創業の地を歩く』⑤〜築地編③

2022-02-03 05:00:00 | 創業の地
『創業の地を歩く』その5。『蘭学事始の碑』からまっすぐ歩き、広い通りを左に曲がると聖路加ガーデンに至る。この前の植え込みの中にあるのが『ヘンリー・フィールズ住居跡』の石碑である。




英国人医師ヘンリー・フィールズは1874年〜1886年の間この地に住み、築地病院(現在の聖路加国際病院)の建設に関わったのであるが、この功績とは別に日本人の指印の習慣に興味を持ち、これを科学雑誌ネイチャーに投稿した論文が科学的指紋法の世界初の研究とされている。日本警察で指紋法を採用して50周年を記念してこの石碑を建立した。

この道沿いには学校の発祥の地が並んでいる。『明治学院発祥の地』、明治学院は1877年に旧居留地17番地に東京一致神学校として設立されたものである。

『女子聖学院発祥の地』、1905年アメリカの女性宣教師バーサ・クローソンによりこの地に女子聖学院神学部として設立された。

『青山学院記念の地』、1877年にドーラ・スクーンメーカーにより設立された海岸女学校がその起源の一つとされている。

さらに少し築地駅に戻り、明石小学校の前には『築地外国人居留地跡』の碑と当時の赤煉瓦の遺構、明治末期の仕様のガス灯の柱が残されている。



その斜め前には『築地カソリック教会』、聖堂は1923年の関東大震災で焼失してしまったため、1927年に再建されたものだが、旧聖堂にあった銅のフランス製の鐘は1876年製であり、入り口横に今も残されている。

また、『暁星学園発祥の地』の石碑もある。マリア会の神父アルフォンス・ヘンリックが小規模な学校を1888年に設立したものである。



少し歩くと明石小学校の隣地に『東京中学校発祥の地』がある。これは今の関東学院の元となった学校であり、1895年に旧居留地42、43番にアメリカ・ハブテスト伝導教会により作られた。



その隣には『雙葉学園創業の地』、こちらは1909年のことである。
少し戻って築地駅を目指すと一番最初に見つからなかった『芥川龍之介生誕の地』の案内板、移されていた。

芥川龍之介は1883年に当時この辺りにあった『耕牧社』という牧場に生まれた。今では牧場がここにあったことすら信じられないが。ただ、ここにいたのは生後7ヶ月までで養父(母親の長兄)に引き取られたのである。
今回学校だけでも女子学院、立教、立教女学院、慶應義塾、明治学院、女子聖学院、青山学院、暁星、関東学院、雙葉と10校ある。よくこれだけの学校の礎が築地居留地に作られたと思うが、慶應義塾以外は全てミッション系の学校なのである。

久我山歳時記⑪〜町中に咲く花を探して

2022-02-02 05:00:00 | 日記
『久我山歳時記』その11。年が明け、ますます寒い日が続く。庭の花も殆ど枯れ果て、寂しそうに葉牡丹が花壇に残っている。本来ならば地植えしている福寿草の芽が出てくる時期なのだが、寒いのか今年はなかなか出てこないのである。しかし、町内にはもう春に向かって花が咲いていないかと散歩に出た。



やはり寒い時でも花を付けるといえば梅の花である。通勤路にある紅梅が10日ほど前からほころび始めていて既に幾つか咲いている。また、久我山稲荷の若木の紅梅は日当たりのせいか既にかなり咲き始めていた。



同じ梅でも白梅は駅の南側、駐輪場の中にぽつんとある木はこちらもよく日が当たるのか、かなり満開に近づきつつある。



蝋梅は満開に近く、可愛らしい黄色い花をたくさん付けて咲き誇っていた。蝋梅は中国が原産地であり、日本には江戸時代に渡来、高さは2.5mほどの低木で12月中旬頃より花は咲き始める。このため、いま満開となっている。



線路の周りは日当たりが良いのか、水仙が群生していて南側では小さな可愛らしい花を多く付けている。水仙にも色々な種類があるが、花びらが白く(但し、一番外の3枚は萼、その内側の3枚が花弁)、内側の副花冠が黄色いものはニホンズイセンと呼ばれていて一部は真鶴岬や越前海岸などでは野生化している。



また、赤い椿の花もそろそろ終わろうとはしているが、幾つかの花は存在感を保っている。冷たい風の中で咲くこれらの花たちはいじらしいものである。

沈丁花には小さな蕾はついていたがまだ固い。木ゞにも若葉も出てきておらず、本格的な春はまたま先の話のようである。




六文そば人形町店〜人形町ランチグルメ

2022-02-01 05:00:00 | グルメ
人形町に勤め始めてもうすぐ9年になるが、その間に立食いそばを結構食べた。しかし、このエリアではコロナ禍もあり、地元系・チェーン系問わず3軒も撤退した。その中で9年前から頑張っているのが今日お邪魔した『六文そば 人形町店』である。

六文そばは小さなチェーン店だが、店によりかなり趣きが異なる。さらに驚かされるのがこの値段である。

店に入ると釜を中心にグルリとカウンター、5人座れる。さらに後ろに本棚のような机が2つ。ここでも5人くらいはいける。入口は2つ、右から入った方が注文口が近いのでこちらの方がいい。

メニューはきつねそばもあるが、基本天ぷらである。一番人気は『玉ねぎ天、ゲソ天いりそば370円』と張り出してあるが、不思議に店内にはメニューがない。私は『げそ天そば』をお願いするが、券売機などなく、おばあちゃんにお金を手渡しである。

すると順番を間違えないように作っていくがやや耳の遠いおばあちゃんのため、皆声が大きい。私の番が来て濃いめの色をしたツユにゲソ天が乗っている。まずは七味を振って食べ始める。そばはいわゆる茹で麺、少し太め、柔らかく喉越しもいい。ゲソ天は揚がりすぎてイカが硬くなるケースが多いが、このゲソ天はふんわり、食感がいい。ツユを呑むと色ほど辛くない、というか、少し甘めで好きなタイプ。これで290円は信じられないほどリーズナブル。(小諸そばのかき揚げそばでも400円)

安いからか常連は大概『玉ねぎ、春菊、そば大盛り』とか、『ゲソ、牛蒡、ネギ多め』など決まった頼み方があるようであるが、天ぷらダブルが普通のようである。店は大入り満員、おばあちゃんはゆっくりと調理をするため、すぐに注文が溜まるが、一緒に働く若い兄さんがこれを助けている。そばは買ってきた茹で麺を温めるだけだが、天ぷらは自家製。それにしても安くて旨い店であった。ご馳走さまでした。
六文そば人形町店
中央区日本橋人形町1ー10ー5