私の利用している東急電車では、朝のラッシュ時に次のようなアナウンスが流れます。
「ヘッドホンステレオからの音洩れは、周りの人の迷惑になりますのでおやめ下さい」
朝の満員電車で坐骨神経痛を抱えたままひどくつらい思いをして立っているところに、ヘッドホンステレオの音洩れは確かに嫌なものです。できればやめて欲しい。しかし、音漏れがうるさいくらいなら聞いている本人の耳には大音量で聞こえているはずで、そこに電車のアナウンスが届くはずもありません。なんとも無力感で一杯になりながらため息をついたら、同じように感じたのか、何人かが一緒にため息をついていたことがあります。
ヘッドホンステレオで音楽を聴いている本人には、自分の出している音洩れは聞こえませんから、ちっとも不快ではないでしょうし、目の前の人が顔をしかめていても、〈どこか具合でも悪いのかなあ〉くらいにしか思わないんじゃないでしょうか。悪気があるわけではない。悪気はないけれども、周囲に迷惑をかけている。そして本人はそのことに気づいていない。好意的に解釈するとそうなります。無論、周りの迷惑になることは百も承知でやっているのかもしれませんし、あるいは生まれてこのかた他人の迷惑など考えたこともないのかもしれません。想像力の欠如です。
想像力が欠如した人間にとって他人の存在は自分に都合よく動いてくれるはずの将棋の駒のようなものになります。だから自分の思うとおりにならないと、怒り狂います。いますよね、そういう人。職場でも学校でも近所でも、そういう傾向のある人や傾向どころではなく典型的な人、さらにはもっとすすんで狂人の一歩手前じゃないかと思うくらい自分勝手な人。こういう人が恐ろしいのは、自分の思い通りにならないと怒り狂うだけでなく、思い通りにならないことを受入れられないから、周囲を巻き込んでも思い通りになるようにしようとする執念を持っているからです。その執念たるや、言うことを聞かない人間を罵倒したり殴りつけたり果ては殺してしまったりしますし、激情型でない場合はいつまでもネチネチといじめたり脅したり悪い噂をばら撒いたりあることないこと告げ口したりして、なんとか社会的に葬ろうとしたりします。
そしてこういう想像力の欠如した人間の本当の恐ろしさは、譲歩や妥協を知らないその執念で、社会的に高い地位に到達することが非常に多いということです。逆の言い方をすれば、社会的に高い地位についている人たちは、他人が自分の思い通りにならないと怒り狂うような自己中心のわがまま勝手な人間で、その辞書には妥協も譲歩も思いやりもない、ということになります。
身近な社長さんから社会のトップにいる人たちまで、思いを馳せてみればなんと想像力欠乏症患者の多いことでしょうか。患者という言葉を使いましたが、まさに病気としか思えない人が私の周りにもいます。自分の利益しか考えない社長さん。この人も想像力欠乏症患者でして、社員は奴隷だと思っている。殴る蹴るは当たり前、ミスをした社員とその上司とさらにもうひとつ上の上司をまとめて坊主頭にさせることもしばしば。この会社では社長ひとりが王様で、あとはみな奴隷です。待遇が違うのはお気に入りの奴隷とそうでない奴隷の差くらい。馬鹿馬鹿しくて辞めていく人もたくさんいますが、よその会社に行ってもまた同じような想像力欠乏症患者が社長や上司になると悟って、ストイックに仕事をしている人もたくさんいます。こういう人たちのお陰で会社が成り立っていることに、病気の社長は気づいていません。
病気の社長と言えば、経団連の新会長さんもキャノンでさんざん偽装請負をやって荒稼ぎをしていました。この人のためにどれだけの人が労働力を買い叩かれ、挙げ句に身体を壊して人生を台無しにしたか知れませんが、労働者を葬り去ることで資産と地位を気づいてきたことなど、まったく気づいていないでしょうし、万が一偽装請負で訴えられるようなことがあってもご自分の手を汚す真似はしていないはずで、奴隷の一人、適当な地位の社員がいけにえにされるんでしょうね。やくざと同じです。そういえば手は汚すがよく洗っていますよという名前でしたね。
想欠症の辞書には譲歩も妥協もない上に、誠実も謙遜も慈悲もありません。いってみれば化け物ですね。想欠症=化け物。政治や経済の上部に君臨する人たちにもっとも必要なものが誠実、謙遜、慈悲、譲歩、妥協であるにもかかわらず、現実にはそれらの特質を一切持たない想欠症患者たち、ビョーキの化け物たちが政治と経済の中心にいるわけで、北朝鮮問題も教育問題もクソもありません。無差別殺人鬼と同じ精神構造を持った想欠症の化け物たちがいる限りは。
ということで、最近の教育問題は日本という国の構造的な問題であると、そういう絶望的な結論になってしまいました。従って対策はありません。
明日のエリザベス女王杯でも検討した方がよっぽど建設的かもしれませんね。