東京都知事選挙のときも石原慎太郎に投票した人たちが沢山いて大変失望しましたが、大阪府知事選挙で橋下というタカ派のタレントに投票した人たちが圧倒的に多かった結果を見て、かつては革新的だった関西の有権者も世代交代のせいか、浅はかな選択をするようになったものだと落胆しました。
「宮崎をどげんかせんといかん」と、とにかく自分の選挙区だけがよくなればいい宮崎県知事が選挙応援をしたこともひとつの証左かもしれませんが、日頃の言動からも、このタカ派のタレントは人権よりも国家を重んじる全体主義者ではないかと推測されます。曰く、「日本をどげんかせんといかん」
こういう考え方は非常に都合よくできていて、言い訳として「日本だけがよくなればいいという訳ではなく、日本がよくなることで、日本発の好景気や日本発の環境対策を世界に発信し、結果として世界がよくなる」という誤魔化しをします。ここで問題なのは「よくなる」という言葉の中身です。誰にとって何がよくなるのか、どうしてそれが他国にとって「よくなる」と判断できるのか、そのあたりを明確にしなければ、自分たちの都合を一方的に世界に押しつけることになります。つまりそれは全体主義そのものです。日本政府が考える「日本国民にとってよいこと」が、往々にして、日本政府及び役人たちにとってよいことに過ぎず、日本国民にとってはむしろよくないことであるように、日本人、あるいは日本政府が考える「世界にとってよいこと」は往々にして日本人、あるいは日本政府にとってよいことであるに過ぎないと推測されます。その反省なしに身勝手な政策を進めると、他国民の激しい抵抗に遭うことになります。その段階に至ってもなお自分たちの間違いに気づかず、抵抗する人々を理想を拒否する愚かな民衆と決めつけ、暴力によって排除しようとすることを全体主義、ファシズムと呼びます。
暴力の極みは戦争による大量虐殺で、大量虐殺を行うために必要不可欠な人殺し集団を軍隊と言います。従って、全体主義者にとって最も重要な組織は軍隊であり、軍隊は人殺し集団ですから、人殺しをするために大義名分が必要で、それが全体主義であり、ファシズムであるという訳で、このあたりのカラクリは見え透いています。見え透いていることは権力の側も分かっていて、あの手この手を使って誤魔化したり美化したりします。
明治政府が欧米の列強に伍していくために選んだ方法が富国強兵という政策で、それはまさに全体主義への道に一直線に繋がる政策でした。明晰な人々はすぐにその危険性に気づいて反対を表明しましたが、明治政府は彼らを弾圧し、その上で大衆を誤魔化すために「戦友」のような浪速節の歌を流行させるなど、とにかく理屈ではなく感情に訴えて軍隊組織を擁護しようとし、そして驚くべきことにそんな姑息な方法がある程度成功しました。それだけ騙された国民が多かったということです。国民が全員反対していれば、政府もおいそれとは戦争を仕掛けることができません。逆に言えば、国民の賛同があったからこそ、日本は侵略戦争にうって出た訳です。それが明治以降の日本軍国主義の歩みでした。
軍隊が組織としてそれなりの地位を獲得すると、今度は組織の特性として組織自体を維持し拡大しようとする位相が生じます。つまり軍隊の目的が軍隊組織自体の存続と拡充ということに変質していくのです。よく消防団員が放火したという事件が起きていますが、あれは不満の発露です。日頃から訓練しているのにその成果を発揮する場を与えられないと、承認欲求が満たされなくて愚かな行動に出てしまう訳です。もちろんそういう愚かさは誰にでもあって、軍隊も例外ではありません。毎日人殺しの訓練をしているのに、人殺しの機会に恵まれなければ、不満が溢れて組織の存続に係わります。なんとかして人殺しをしたい、させたい、それが軍隊の本音です。軍隊と癒着している軍需産業、つまり死の商人たちにとっても武器弾薬爆弾をジャンジャン使ってもらわないと、経年劣化による交換くらいでは商売になりません。当然彼らは政治を動かして戦争をはじめたい。そのために軍隊や軍需産業から政治家を送り込んだり、好戦的な能たりんの政治家に賄賂を渡したりして、とにかく他国に戦争を仕掛けさせるのです。アメリカ合衆国の歴史はまさにそういう構造の戦争に明け暮れたものでした。ブッシュの戦争はその際たるものです。
日本の若者がだらしないからといって、徴兵制度を実施することで問題を解決しようとするのは非常に愚かな考えです。徴兵を行うためには軍隊が必要で、軍隊ならすでに存在している、自衛隊がそれだと言う人もいるでしょうが、軍隊はどこまでも戦争をするための組織です。自衛隊の概念とは少し異なります。自衛隊を軍隊と見做すためには国家的な大義名分が必要となります。国民にわかりやすい大義名分というと、それは国家の敵という概念で、仮想敵国やテロリストということになります。だから戦争をしたくてたまらない安倍ちゃんは北朝鮮を利用して軍国主義を煽り、自衛隊を軍隊にして、他国の国民を殺すことが出来るようにしたかった訳です。
仮にその浅はかな考えが実現して、日本が軍隊を持つ国になると、これまでと同じように軍隊の存在意義が軍隊の存続そのものに変質してしまい、軍国主義への道にまっしぐらということになります。それはとりもなおさず、日本国民を他国民を殺す人殺しにすることに他なりません。徴兵制度を口にするような軽率な人間を知事として選出するのは、自分たちの子供を戦場へ送り込むことに、直結するのです。他国民を殺すことも不幸、また殺されることも不幸であることが分かりきっているのに、どうしてそんな選択をするのでしょうか。
こんな有権者が多い日本という国に、明日などあるはずがありません。