三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

テロ国家への道

2008年02月26日 | 政治・社会・会社

日本がどんな国になろうが知ったことではありませんが、1400億円も出して買ったイージス艦が何の役にも立たない内に日本の漁船を真っ二つにして漁師親子を殺してしまったのは、私たちの税金が如何に無駄遣いされているかの象徴のような出来事でした。人殺しをしたのだから、無駄遣いというよりも悪事と言った方が正確かもしれません。いずれにしろ、私たちの税金は人殺しに使われました。皮肉な言い方をすれば、もともとイージス艦は軍隊の道具ですから、軍隊=人殺し集団であることを考えれば、相手こそたまたま自国民だったものの、武器としての本来の使われ方をした訳です。

国会やマスコミは事件の直接的な詳細ばかりにこだわっていますが、そもそもイージス艦を購入したことの是非、それを誰が決めたのかということ、国会できちんとしたやりとりがあって決まったのかということを問うべきです。防衛利権に群がる政治家や役人たちが自分たちだけのために1400億円もするイージス艦を購入したことを、もっと報道すべきです。それが軍隊という人殺し集団の道具、即ち武器であり、武器であるからには人を殺し、または傷つけることで自分の、あるいは自国の身勝手な欲望を満たすことを目的として使われることになります。強盗のナイフと同じです。あるいは沖縄で少女に乱暴した上に殺してしまった米軍兵の腕力と同じです。こんなことのために私たちの税金が1400億円も使われました。

いやそうではない、むしろ人殺し集団から身を守るために武器が必要なのだという理屈があります。武器が要らない、軍隊も要らないというのは強盗に入られて金を盗られた上に妻と娘を強姦されるのを黙って見ているのと同じだという理屈です。一見もっともらしく聞こえる意見ですが、果たしてそうなのでしょうか。もしこの理屈が正しければ、多くの国で武器の所持を禁じていることと矛盾します。自分の身は自分で守る、そのために武器が必要、国家も個人も同じであるという理屈でアメリカは武器社会となり、犯罪は常に残虐であり、狂っています。日本で武器が許されたら、今以上に凶悪な犯罪が増加するのは目に見えています。武器が犯罪を凶悪化し、残虐化するのです。国家の犯罪も同じです。

幼児が襲われるといけないからといって、幼児に拳銃を与える親がいるでしょうか。幼児がそこらへんの犬や猫や、または自分の妹や弟、乳母車の中の赤ん坊を撃たない保証などどこにもありません。幼児の自己抑制力が信頼できないからです。国家についても実は同じなのです。国家の抑制力が軍隊の末端にまで及ぶと思ったら大間違いで、軍隊自体が幼児と同じレベルであり、それを統率するはずの政治家までも、幼児と同じ精神レベルであるという現実をしっかり認識しなければなりません。日本が軍隊を持つのは幼児に拳銃を与えるのと同じなのです。

武器の所持は必ずエスカレートします。相手よりも強力な武器を持とうとするのです。20世紀の歴史はまさにそういう歴史でした。軍拡競争。結果として一瞬で、無差別に、大量の人間を殺す武器がたくさんできました。さらにアメリカや中国がインドやその他の殺人国家がもっともっとたくさんの虐殺武器を持とうとしています。ブッシュはテロとの戦いと言いましたが、実は最も多くの戦争に参加して世界中で人殺しを続けているのはアメリカなのです。アメリカこそがテロ国家なのです。そしてそれに続いて軍拡の政策を進めて武器という無差別大量虐殺の道具をたくさん持とうとしている世界中の軍隊を持つ国家は、やはりテロ国家なのです。ということは、世界中のほとんどの国がテロ国家ということになります。軍隊を持たないのは現実的ではないという、大方の意見は、世界中がテロ国家であることを前提にした議論です。少なくとも無差別大量虐殺の爆弾を落とされた日本だけは、この地球的な傾向に対して、異を唱えるべきであり、その資格があると思います。進んで人殺し国家の仲間入りをしようとする、武器が大好き=人殺しが大好きな石破防衛大臣のような人を国政から排除しなければなりません。