三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「コンカッション」

2016年11月11日 | 映画・舞台・コンサート

映画「コンカッション」を観た。
http://www.kinenote.com/concussion/

ハリウッド映画で主演がウィル・スミスとなれば、シネコンをはじめとしてたくさんの映画館での上映となるのが通例だが、この映画は東京では2館だけ、全国でも20館の上映に限られていて、たとえば角川シネマ新宿では10月29日から11月11日までのわずか2週間の上映だった。勿論いくらNFLでも日本の映画配給会社までは影響を及ぼせはしないと思うので、配給会社独自の考え方だろうが、もう少し多くの映画館で、もう少し長い期間上映してもいいのではないかと、この映画を観た人は思うだろう。

アメリカの国家「星条旗」に、「自由の国、勇気の故郷に星条旗がはためいているのだ」という歌詞がある。我々はアメリカは自由の国だというイメージを持っているが、実はそうでもない。それは今回の大統領選のその後を見てもわかる。

自由とは、互いに相手の自由を認め合うことで保障される。要するに互に寛容でなければ互いの自由はないのだ。大統領選について言えば、話し合いの結果で成立した選挙制度を認め、結果を受け入れることができないと、自由は保障されない。ところが、トランプ大統領を認めないとして抗議したり官憲に暴力を振るったりする人たちの映像が毎日報道されている。アメリカは不寛容の国で、不寛容の国に自由はないのだ。

不寛容は同調圧力を生み、差別を生み、格差を作り出す。アメリカ人の多くが愛するスポーツが選手の病気を生み出し、引退後の不幸を生み出す原因と指摘されれば、そんな主張には大反対し、主張する人間を非難し排斥し、またはFBIなどの権力を使って実力行使をする。日本の警察もそうだが、権力が個人の自由を奪うのは簡単だ。あることないことでっち上げて、違法行為を犯したことにすればいい。逮捕して密室で供述調書を取れば、死刑にしなくても社会的に抹殺される。
ウィル・スミス演じるナイジェリア出身の医師は、アメリカに憧れてアメリカ人になりたいとさえ思っていたが、未発見の症例を発表したことでアメリカの不寛容を思い知ることになる。その不寛容にはうっすらと黒人差別の感情も入り混じっているようだ。

ウィル・スミスは「インディペンデンスデイ」の典型的なアメリカ人兵士の役から20年を経て、この映画では誠実と思いやりと寛容さを持つ深い人間性を表現している。ナタリー・ポートマンにも同じ思いを抱いたが、ハリウッドの第一線で活躍し続ける俳優は、常に演技の幅を広げ、進化し続けている。そうでないと生き残れないのかもしれない。

本作のキーワードは「キラープロテイン」である。映画の中でウィル・スミスのオマル医師が一度だけ口にする言葉だが、とても印象的なシーンでの言葉であり、この言葉を憶えているだけで、映画を説明できるほどである。アメリカ医学界にとっても重要な言葉であるはずだ。
ところが、この映画を観るまで「キラープロテイン」という言葉は聞いたことがなかった。これはアメリカ人も同じではなかろうか。もしかするとアメリカでは、依然としてオマル医師の発表をなるべく表に出さないように、政府とNFLとマスコミが一体になって隠し続けているのかもしれない。驚くには当たらない。不寛容の国アメリカでは、そんなことはいたって普通のことなのだ。