三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「LIFE」

2017年07月12日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「LIFE」を観た。
 http://www.life-official.jp/

 英語のLIFEには、複数の意味がある。3年前の映画「LIFE!」の意味は「人生」の意味だろうし、少しだけ「生活」の意味もあったかもしれない。
 この映画では当然ながらLIFEは「生命」の意味だ。機械が採集した異星の土壌の中から発見された生命が人間を栄養源として捕食する恐ろしい物語である。
 ところで生命とは何だろうか? 分子生物学の福岡伸一さんによれば「生命とは自己複製を行うシステムである」(『生物と無生物のあいだ』)とされている。DNAの螺旋構造が二重になっている意味はそこにあるらしい。
 この作品では単細胞生物のように単体で存在が完結している細胞が、互いに連繋してひとつの生物のように活動する。すべての細胞が幹細胞みたいに役割に応じて動き、生命を維持するためのあらゆる行動を取る。動きは速く、攻撃力も防御力も人間の敵うレベルではない。捕食しながら自己複製を繰り返す。単体の細胞の集合体で定型がないのであれば、無限に巨大化することが可能だ。

 映画を見ているうちに、ひとつ変わった視点が頭に浮かんだ。捕食される側から考えると、捕食者は次元の違う生物である。地球上では最強の捕食者は人間だ。LIFEを地球上の人間に置き換えると、宇宙ステーションの人間たちは狩りの獲物である鹿や鴨に相当する。
 我々は人間だから、どうしても登場人物に感情移入してしまうが、一旦人間の立場を離れて鹿や鴨の立場になるとどうだろうか。ある日突然、自分たちに向かって銃をぶっ放し、殺して捕食する人間という恐ろしい生き物が地球上に出現する。人間は地球上の生物を次々に絶滅に追いやってきた。LIFEはそんな生物たちにとってのホモサピエンスに等しい。ただし、捕食されるのは人間だ。

 もちろん制作者の意図は人類の存在を否定するものではないだろう。しかしこの映画には、地球に現れてはいけなかったのはもしかしたら人間かもしれないと考えさせられるところがある。英語のLIFEのように、多義的な作品だといえるだろう。
 ストーリーはSFホラーとしても十分に楽しめる展開だ。生物の生命、攻撃される乗組員の生命、そして何も知らない地球上の沢山の生命。いろいろな生命(LIFE)が立体的な関係性をもっていることを感じさせる。タイトルも内容にぴったりの、奥行きのある作品である。


映画「Magic Kimono」(邦題「ふたりの旅路」)

2017年07月12日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Magic Kimono」(邦題「ふたりの旅路」)を観た。
 https://www.facebook.com/%E6%98%A0%E7%94%BB%E3%81%B5%E3%81…/

 出だしはコラージュ風で、いろいろなシーンが行きつ戻りつする。どういう状況なのかがわかりにくいまま、作品は進んでいく。この調子で日常的な整合性が得られないままに終わるのかと思っていると、だんだん光が差して設定が明らかになる。その過程で、桃井かおり演じるケイコの心情が浮かび上がってくる。
 最初から設定を明らかにしてしまうと、観客にバイアスが働いてしまい、複雑なケイコの心理状態に踏み込む前に勝手な解釈をしてしまったかもしれない。このあたりの作りこみは非常に卓越している。

 リガは低い街並みに緑と水が豊かに合わさった美しい都市だ。日本の着物がよく似合う。街並みを守ろうとする姿勢と、着物ショーなど、他国の文化を受け入れようとする進取の精神がこの町の文化を維持しているように見える。この町を旅したケイコの心が次第次第に素直になってゆくのは、この町が持っているおおらかな精神性による気がする。

 桃井かおりはやはり大女優である。役柄をしっかりと演じながら、自分の世界を表現する。ケイコはあちこちで色々なものを食べる。それはレストランの食事だったり、公園でのおにぎりだったり、市場で買ったものだったりする。食べるシーンが多い理由は、作品が進むにつれて明らかになっていく。生きることは食べることなのだ。
 静かに進む映画だが、見終わるころには生きつづけてゆく気力が湧いてくる、とてもいい作品である。