三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「ザ・ハント」

2020年11月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ザ・ハント」を観た。
 参った。作品の話ではなく映画館での隣の男だ。激痛が伝わってくるかのような残虐なシーンで大笑いする。感じ方は人それぞれだから笑うことを否定するつもりはさらさらないが、こちらが痛みを想像して息を呑んでいる横で馬鹿笑いされると興醒めしてしまう。そのシーンで大笑いしたのはその男だけだった。こういう男は子供が自動車に轢かれるのを見てもゲラゲラ笑うのだろう。後でそれが自分の子供だと分かって、男の馬鹿笑いを見ていた妻から三行半を突きつけられればいい。そんなよろしくない想像までしてしまった。申し訳ない。
 映画はのっけから衝撃的で大変に面白い。理由もなく狩られる人々のパニックと怒りと生き延びたいという本能が熱量として伝わってくる。展開がスピーディなのも、理不尽さを強調することになって、とてもいいと思う。
 ヒロインが登場して以降は展開が落ち着いて、徐々に状況が明らかになる。大団円で冒頭のシーンの真相が明らかになり、大変スッキリした気持ちで終了するが、ひとつだけ疑問が残る。
 これ、もしかしたら本当の話では?

映画「私は金正男を殺してない」

2020年11月04日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「私は金正男を殺してない」を観た。
 テレビやインターネットの情報を見る限り、北朝鮮は貧しい国だ。金一族の独裁を維持するためには国民を飢えさせても軍事に金をかけるしかない。人口は減り、国力は益々衰えていく。そして戦争を始めるしかない状況に追い込まれる。第二次大戦の前の日本がそうだった。全体主義の宿命である。
 北朝鮮は何をしでかすかわからない危険な国だという認識は世界的に共通しているのではないかと思うが、一般の北朝鮮人のイメージはどうだろうか。独裁国の虐げられた人々、強権に唯々諾々と従う羊の群れ、そういった印象である。決して危険な人々だとは思わないのではなかろうか。独裁国家として人々を画一化し多様性を奪っていった結果、個人が活躍する場を失って貧しい国になった。共産主義の理想とはかけ離れた現実である。
 独裁国家の権力闘争は、中世の王権争いにそっくりで、所謂骨肉の争いである。金正男氏は殺されたが、彼の息子や娘たちは独裁者から未だに追われているのかもしれない。韓国も大統領はその後不幸な運命を辿ることが多い。儒教の精神性が生み出す格差社会の宿命なのだろうか。
 本作品はそんな北朝鮮の独裁者による金正男氏の暗殺劇に巻き込まれた外国人女性の悲劇を描く。実際のニュースを見た当時は、二人の女性はただ雇われただけで、殺人と認識しないまま言われたことをやったのだと思っていた。考えてみれば、金をくれるからといって見ず知らずの第三者に暴行のようなことをするのは躊躇われる。その躊躇いを取り去るための工作がどのように行なわれたのかを描いたのが前半だ。
 後半は彼女たちの裁判の様子が描かれる。マレーシアの司法は多くの国のご多分に漏れず、行政の子分である。行政は保身と既得権益の維持だけだから、真実など無関係に処分を下そうとする。アメリカ映画ならヒーロー弁護士が登場して見事に真実を暴き出して、正しい判決を勝ち取るところだが、生憎、行政が司法を牛耳っている国では、真実がどうであれ、判決は最初から決まっている。では彼女たちはどうして釈放されたのか。
 有名になりたい、金持ちになりたいと夢見る若い女性が騙されるのは、沢山の映画やドラマ、小説で描かれている。本作品では騙すのが独裁政治の工作員だった点と、実際の事件を扱っている点で一線を画している。見ごたえのあるドキュメンタリーだった。