三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「Waiting for Anya」(邦題「アーニャは、きっと来る」)

2020年11月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「Waiting for Anya」(邦題「アーニャは、きっと来る」)を観た。
 主役が数日前に鑑賞した映画「エイブのキッチンストーリー」と同じノア・シュナップだが、本作品は「エイブ・・」とは国も時代もまったく違っているので、抵抗なく鑑賞できた。ただ、フランス南部が舞台なのに話す言葉は英語というのが少し変な感じがしたが、時代劇が現代語で演じられるようなものだと納得することにした。
 物語は長閑な村にナチスドイツ軍がやってきてユダヤ人を探して処刑しようとしている中、純朴な羊飼いの少年が隠れているユダヤ人と子どもたちを救おうとするドラマである。主人公ジョーを演じたノア・シュナップはやっぱり上手い。観客はジョーの不安と恐怖を共有し、その勇気ある行動にハラハラすることになる。
 ドイツ軍の中には、戦争に疑問を持ちユダヤ人の弾圧はナチスによるマッチポンプであることをジョーに告白する将校もいて、ジョーは戦争の理不尽を少し理解する。戦時中の日本人がそうだったように、ドイツ人の中にも反戦思想の持ち主もいたはずだ。戦時中は国家主義から敵国と敵国民を同一視してしまうが、我々が日本人とスガ政権を同一視してほしくないのと同じくらい、どの国にも反体制的な人々はいるし、いたはずだ。
 ライフルを墓地に隠す伏線は最後に回収される。障害者だったジョーの友だちは反戦の英雄として村の人々の記憶に残ったことだと思う。決してハッピーな結末ばかりではないが、それもリアリティだ。ナチスドイツという圧倒的な暴力を前にして屈することなく耐え抜いた村人たちと、勇敢に行動したジョーも、やはり反戦の英雄としてその生き方を讃えたいと思う。
 日本でナチスドイツの役割を果たしたのは特別高等警察だ。精神の自由まで奪おうとした理不尽な暴力集団である。反戦の国民にできるのは表立って反対して殺されるか、面従腹背で生き延びるかだ。押し殺した怒りが戦後の復興のエネルギーになったのは間違いない。国家よりも個人の幸福が優先される世の中に漸くなったのだという時代だった。
 しかし最近では再び個人よりも国家が優先されるような風潮が蔓延しつつある。トランプのアメリカ・ファーストがその一番手だ。アメリカ・ファーストは、アメリカンピープル・ファーストではないことに、当のアメリカ人が気づいていないフシがある。日本人も「美しい日本」が日本国民のことでないことに気づく必要がある。第二の関東軍、第二の特高を生まないためにはナショナリズムの陥穽に嵌まらないことだが、東京オリンピックを未だに期待している人々が多いのがかなり不安である。

映画「記憶の技法」

2020年11月29日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「記憶の技法」を観た。
 序盤は坦々と流れる。この段階では複雑な人間関係はなく、学園モノで見かけるいじめも、マウンティング争いもない。その後はやや強引な展開で、普通なら直接本人たちに聞くだろうと思われる場面でも、なぜか殆ど知らない人間を頼る。マンガみたいだと思ったが、どうやらマンガが原作らしい。
 終映後の舞台挨拶で池田千尋監督が明かしていたが、撮影から公開まで何かの事情で3年もかかったとのこと。主人公の華蓮を演じた現在22歳の石井杏奈は撮影当時19歳。3年経って、ほっそりとして美しい女性になり、オレンジ色の光沢のあるドレスがとても似合っていた。この人をはじめて見たのは2016年のTBSのドラマ「仰げば尊し」の吹奏楽部の部長役で、真面目に悩む女子高生が印象的だった。本作品では少し無理のある脚本を力技で演じ切ってみせた。演技力というよりもこの人が持って生まれた独特なキャラクターが、演技に厚みを加えていると思う。それも才能のひとつである。
 とはいっても作品の中で一番演技が光っていたのは、やはりというべきか、柄本時生である。この作品はネタバレしたら面白みが半減するので迂闊なことは書けないが、映画サイトで紹介されている「金魚屋の青年」という役は、華蓮にとって大変重要な役割を果たす。この役の存在で物語がリアリティを保てたと思う。
「氏より育ち」という諺のとおり、愛情豊かな優しい養親のもとで育てられた華蓮は、思いやりのある優しい人間になった。これが物語の大前提で、意地悪にひねくれた女子高生が主役だったらこの映画は成立しなかったと思う。
 福岡へのルーツ探しの旅で、華蓮は短時間のうちに人生について学び、自分の心を掘り下げていく。そして過去の記憶を明確にすることで、過去との柵を断ち切る。可憐な女子高生の成長物語で、幸せを予感させる爽やかな印象の作品だった。