三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「梅切らぬバカ」

2021年11月16日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「梅切らぬバカ」を観た。
 
 エンドロールにスタイリスト(加賀まりこ担当)、ヘアメイク(加賀まりこ担当)とあった。単独の担当者が付くとは、さすがに大女優さんである。
 それはさておき、占い師にはある種の尊大さが必要である。意味不明の基準で一方的に決めつけられても何故か納得してしまうような、自信たっぷりの態度がなければ占い師は務まらない。
 主人公の珠子さんは、自閉症の息子に限りない優しさを注ぐ一方で、占い師としての尊大さを見せる。こんなややこしい役を演じることが出来る女優となると、加賀まりこを置いて他に思い当たらない。まさにはまり役である。
 
 人と人とは結局のところ、解り合えないものだ。それぞれに自我があるから当然である。歳を取ると、他人とは解り合えないと諦めて、どこかで折り合いをつける。つまり妥協するのだ。それは悪いことではない。
 息子の忠さんが50歳になっても、珠子さんには忠さんのことがまだまだ解らない。きっと死ぬまで解らないのだ。しかし珠子さんは、解らないからこそ人生が面白いと達観しているフシがある。だから占い師みたいなことも出来ているのだろう。
 
 自閉症の息子を抱えていても、珠子さんに悲壮感はない。何があろうと忠さんはかけがえのない自分の息子だ。一生背負っていく。自分が亡くなったとしても、忠さんはなんとかやっていけるだろうという楽観もある。それは占い師ならではの楽観かもしれない。
 忠さんは自閉症の中でも意思疎通が難しい部類に入る。意思疎通が図れない人間は常に差別の対象だ。日本人は言葉の通じない「在日」を差別してきた。戦時中や戦後には殺された人も多くいたと聞く。差別はいまも続いている。忠さんへの差別も同じ精神性である。
 珠子さんは、息子を差別する人たちとは戦わない。グループホームに対する反対運動で時間を無駄にしている人たちに付き合う必要はないのだ。
 
 脇役陣は概ね好演。林家正蔵は人のいい役が似合うが、本作品では人の好さだけではなく、差別や役所の怠慢に対する怒りも見せる。なかなかいい。森口瑤子は偏りのない素直な精神性の奥さん、渡辺いっけいは自分本位ではあるが、他人の人格も尊重する気の弱いサラリーマンをそれぞれ上手に演じていた。
 塚地の忠さんは、自閉症の中年としての悲哀が少し足りなかった感じがある。急に真顔になったりスタスタ歩いたりして、自閉症らしくないシーンもあった。そのたびに珠子さんが、塚地の演技にかぶせるようにして忠さんに話しかけたり、話を引き取ったりして、いくつかのシーンを見事に収めていた。このあたりの呼吸は流石である。加賀まりこはやはり大女優なのだ。