映画「牛久」を観た。
昨年(2021年)の3月6日に収容先の名古屋出入国在留管理局(入管)で亡くなったウィシュマ・サンダマリさんのことは、未だに記憶に新しい。開示された動画を見た記事によると、亡くなる3日前の3月3日には、食べたものをバケツに吐き出しているのに、職員が無理やり食べさせようとしていたらしい。
本作品では、ハンストという言葉が何度も出てくる。念の為に説明すると、ハンストはハンガーストライキ(Hunger Strike)の略で、公共の場で飲まず食わずで命がけの抗議をすることだ。インド独立の立役者であったマハトマ・ガンディーがはじめた。ウィシュマさんは収容後、半年で20キロも痩せて、そして亡くなった。ストレスで食欲が失せて痩せたという説明が一番もっともらしいが、ハンストをしていた可能性もゼロではない。
本作品の主な舞台である東日本入国管理センターはその所在地から通称牛久と呼ばれている。牛久大仏から南南東に1.5kmの場所にある。法務省の施設だから職員は公務員である。在留資格が認められない外国人を収容する施設だ。ポーランドにあったナチスのアウシュヴィッツ・ビルケナウ強制収容所と似たようなものである。強制労働や殺害がないのが牛久である。閉鎖環境では職員にも相当なストレスが溜まる。ストレスを収容者に対する暴力で発散している点はナチスの強制収容所と同じだ。したがって「牛久強制収容所」と呼ぶのが実態に即した呼び方である。
牛久強制収容所の収容者は、日本の法律で言えば不法滞在者だ。本人たちは難民であると主張している。国にいたら殺されるから日本に逃げてきた。さて、日本人にとってここが考えどころである。彼らの話を信じるかどうか。彼らのためにどのように税金を使うか。
知人のアメリカ人女性は、日本で働く資格を得て働いていた。期限は5年間だが、1年働いて別の仕事に転職した。しかしそのときに入管に報告をしなかった。5年の期限が近づいて、期限の延長の手続きをした。書類は全て揃っていて問題ないはずだったが、入管は期限の延長を認めなかった。理由は言えないと言われたそうだが、推測はできる。転職してからの4年間は入管にしてみれば不法滞在であり、不許可の資格外活動をしていた訳である。印象が悪すぎるのだ。だから入管は延長を認めなかった。
しかし、日本国にとってはどうだろう。この女性は5年間働いて、税金や保険料も納めているし、消費もしている。この女性がいたことは、日本経済にとってプラスであったことは間違いない。在留の延長を認めればこれからもプラスであり続けるだろうし、日本人の男性と結婚して子供を産んだりすれば、労働力も増えるし消費者としての役割も果たす。
入管にとってはそんなことは無関係なのだろう。手続きを怠ったことが許せないだけだ。入管はそういう性格の組織だということである。この女性は難民ではないが、入管職員の態度は物凄く横柄で怖かったらしい。アメリカ人相手であんなに怖いのであれば、難民がどんな目に遭っているか、本当に恐ろしいと彼女は言っていた。本作品を観ると、入管は想像以上に恐ろしい場所であることが解る。入管職員は街のチンピラや暴走族と大差ない精神性である。
ひと言で難民といっても、いろいろな人がいる。能力や適性も様々なのは日本人と同じだ。難民を支援して、日本語を教えて仕事を世話すれば、社会的な役割を果たすし、消費もするだろう。反社会的な行動をされると困るが、その危険性は日本人にもある。ポイントは日本語能力だけで、日本を占領した米軍のように、半年間で実用的な日本語が使える教育をすれば、多くの難民が救えるだろう。
世界の多くは無能な国家主義者が国を統べている。優秀な人ほど反体制的だから、弾圧される傾向にある。そういう人が難民になる。受け入れれば日本の経済や文化にとってプラスになる可能性が高い。政府が受け入れようとしない理由がわからない。日本人でない人が日本国内で活躍するのが怖いのだろうか。
本作品でも若くして日本語が話せる収容者がいた。彼の在留が認められれば、ちゃんと仕事をして税金や保険料を納めて、消費もするだろう。日本国にとっても地方公共団体にとっても何の不都合もない。むしろ歓迎すべきではないだろうか。
しかしその彼が言う「ここでは毎日が同じ。こんな人生はいらない」
難民にこんな言葉を言わせる行政は、恥ずべき行政である。毎日のように職員たちから暴行を受け、暴言を浴びせられ続けているのだ。誰だって死にたくなる。その職員は我々の税金から給与を得ている。その仕事は暴力と暴言だ。
難民の彼に代わって言いたい。「もうこんな政治はいらない」