三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「余命10年」

2022年03月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「余命10年」を観た。  
 小松菜奈は去年(2021年)公開の映画「ムーンライト・シャドウ」ではほどよく筋肉の付いた健康的でバランスのとれた素晴らしいプロポーションを披露していたが、本作品ではとても痩せて弱々しく見えた。減量したそうである。女優魂というよりも、役に入れ込んだからこその減量だろう。高林茉莉はそれほどの大役だった訳だ。

 茉莉と書いて「まつり」と読む名前である。茉莉はジャスミンのことで、茉莉花とも書く。茉莉花茶(ジャスミン茶)として中華料理店で提供されるほど、香りの強い花であるが、見た目は清楚で可愛らしい。薔薇の字を名前にするのは重すぎて憚られるが、茉莉や茉莉花は名前にちょうどいい感じで、付けられた子供も苦にならない。いい名前だと思う。

 映画「8年越しの花嫁」を思い出す。脚本も同じ岡田惠和さんだ。あちらは瀬々敬久監督でこちらは藤井道人監督。年月もよく似ているが、あちらはどん底からのスタートで、こちらは幸せな恋からのスタートである。どうなることかと観ていたが、流石に「新聞記者」の監督だ。物語の緩急とメリハリが実に上手い。そしてそれに応えた小松菜奈の演技が素晴らしい。
 相手役の坂口健太郎も一生懸命な演技で好感が持てた。加えて脇役陣の名演が人生の機微を上手に伝えている。リリー・フランキーの思いやりのある短い台詞がなんとも味があった。人の優しさとはこうでなければいけない。松重豊のお父さんも同様に短い台詞やちょっとした仕種に娘への気持ちが溢れていた。この二人はもはや名人である。そこに奈緒と黒木華が絡めば鬼に金棒だ。いい作品にならないわけがない。

 人間は他人の死を死ぬことができない。死は常に孤独に迎えるものである。そして親しい人間の死は、常に悲しい。中島みゆきの「雪」の歌詞に次の一節がある。

 手をさしのべればいつも
 そこにいてくれた人が
 手をさしのべても消える
 まるで淡すぎる雪のようです

 小松菜奈が演じた高林茉莉は、淡い雪のようでもあり、舞い散る桜の花びらのようでもある。そして付けられた名前にたがわず、ジャスミンの花のように可憐に咲いたのであった。

映画「ある職場」

2022年03月08日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ある職場」を観た。

 サーフィンのシーンは監督の趣味だろうが、この映画には不必要だった気がする。夏のシーンなのにウェットスーツを着たサーファーのシーンが挿入されるのは不自然だった。真冬のサーファーが好きなのだろうか。もしかしてユーミンファンか。

 それはともかく、本作品は会話劇である。映画でなく演劇でもよかった気がするが、それにしては登場人物の台詞が練り込まれていないという印象があった。台詞に整合性のない人物が何人かいて、その整合性のなさを指摘する人物もいないのだ。
 おかしいと思いながら鑑賞したが、終映後の監督の説明で納得した。公式ホームページにも「シナリオは無く舞台設定だけ与えられた俳優たちが、即興に近い演技で演じているのも本作の見どころのひとつだ」と書かれていた。なるほど、整合性がないのも当然である。

 本作品を観る前に、新宿で『ムクウェゲ「女性にとって世界最悪の場所」で闘う医師』を鑑賞したからか、武装した男たちにレイプされて膣が破れて内臓が飛び出した女性たちの被害と比べてしまう部分があった。

 セクシャルハラスメント(役所の言葉はセクシュアルハラスメント)は多かれ少なかれ、あらゆる場所で起きている。「きみ可愛いね」というバカ丸出しの言葉から、問答無用のレイプまで、カテゴリーにすれば全部セクハラだ。しかし暴行や傷害やレイプでなければ罪に問えない。本作品では財務大臣(発言当時)の言葉が使われている。
 アホウ太郎が口を曲げながら「セクハラ罪という罪はない」とシレッと言ったことが問題となり、昔なら頭を下げて謝罪するところだが、アベシンゾウ内閣は「セクハラ行為を処罰する旨を規定した刑罰法令は存在しない」と閣議決定してしまった。これには仰天したが、騒ぎにはならなかった。アベシンゾウは「ボクチャンは悪くない」総理大臣である。何でもありなのだ。伊藤詩織さんをレイプした男も罪に問われなかった。

 実は当方は昔、体格のいい親戚の中年男から、きれいな手をしとるねと手を触られたことがある。当方も男だが、このときは本当に気持ちが悪くて、すぐに手を引っ込めて相手をまじまじと見た。こいつは頭がおかしいと思い、以来一切の付き合いを断った。自分の倍くらいの体重がある男から触られることにこれほどの嫌悪感と恐怖感があるのかと思い、女性の気持ちがある程度は想像できる気がした。もし手ではなくて身体を触られていたら、顔に正拳を叩き込んだと思う。

 セクハラの多くは密室で行なわれる。肩を揉む、手を握る、顔を近づける。若い女性にしてみれば、親しくもない年上の男からそんなことをされると本当に気持ちが悪い。本作品ではその先がカットされて、早紀ちゃんが泣いている場面に飛ぶ。何が起きたのかは、早紀ちゃんの言う通り胸やお尻を触られただけなのか、それ以上のことがあったのか、観客それぞれに推測する以外にない。
 密室の出来事である。防犯カメラがある訳でもなく、被害女性は証拠がないから主張を聞き入れてもらえないと考える。それに、一部の元ヤンキーを除いて、日本の女性の殆どは暴力に慣れていない。足を踏みつける、急所に蹴りを入れる、顔に肘打ちをするなど、咄嗟に出来るものではない。本気で抵抗しなかったとか、反撃はできたはずだとかいう議論は現実的ではないのだ。

 男社会のヒエラルキーの中で出世すれば改革が出来ると言う女上司が登場する。それでは出世したあなたは改革ができたのかと聞くと、いろいろ難しいと言い訳をする。理屈になっていない。それもその筈だ。出世したということはヒエラルキーに取り込まれた訳だから、改革などできようはずもないのである。
 ちなみに後半で登場したこの女上司の役者は演技がとても下手だったが、それ以外の役者陣は概ね好演だったと思う。

 鑑賞中は胸がざわつくというか、いろいろな感情が浮かんでは消えた。直前に見たドキュメンタリー映画の、コンゴでの凄まじいレイプ被害も頭に浮かんだ。コンゴではセクハラどころではない。セクハラが問題になるのは先進国だからである。
 仕事でハラスメント防止のアドバイザーをしている人の話を聞いていると、他人との関わり合いはなんでもかんでもハラスメントになる気がしてくる。ハラスメントになるのを恐れれば他人との関係をなるべく避けるようになる。
 女性が髪型を変えても何も言わない。何を言ってもハラスメントになるのだ。そもそも他人を見ない。他人からも見られないからファッションも気にしない。アパレル業界は沈没する。仕事中の会話はチャットで済ませる。街では他人の顔を見ない。街で他人に声をかけるのはポン引きと怪しいスカウトだけだ。道で誰かが倒れていても直接は触らない。好きで倒れているのかもしれないし、寝ているのかもしれない。
 他人との関係はどんどん希薄になり、未婚化、晩婚化、少子化が進む。それが先進国の証だ。それは悪いことではないと思う。登った山は降りなければならないのだ。

ゼレンスキー大統領のアホなパフォーマンス

2022年03月08日 | 政治・社会・会社

 欧米各国のウクライナ支援がエスカレートしている。戦闘機までウクライナに供与しようとしているのだから、気が狂っているとしか思えない。戦争はエスカレートすればするほど被害が拡大する。ロシア側は、戦闘機をウクライナに供与すれば、その国も参戦したとみなすと警告している。ウクライナのゼレンスキー政権は一歩も引かない構えで、支持率も9割を超えたらしい。ウクライナ国民が逃げ惑う中、どうやって支持率を調査したのかは不明だが、ゼレンスキーの態度が変わらない限り、戦争はこのまま継続するだろう。第三次世界大戦も近い。

 ゼレンスキーはもともと最も駄目な大統領のひとりである。ロシア出身でウクライナ語が苦手なコメディアンだった彼が大統領選挙で勝ったのは、ロシアとの関係改善を望んだ国民の願いが多かったからである。持ち前のパフォーマンスを披露して、政治素人でもちゃんとやってくれるだろうと思わせたのだ。ポピュリズムである。テレビが作った政権と言ってもいい。就任時の支持率は7割を超えていた。
 ゼレンスキーの大統領就任後、ロシア語を中心に話す東部の国民は、それまでウクライナ語だけが公用語だったのを、ロシア語も公用語に加えてくれるものだと思っていた筈だ。しかし彼はそうしなかった。それどころか、依然として紛争が続く東部の武装勢力を、昨年(2021年)の10月、ドローンで攻撃したのだ。おまけにフランスとドイツが仲介したミンスク合意を反故にして、ロシアに軍事的に睨まれると、アメリカに助けを求めてNATOに入りたいと言い出した。本物のバカである。このときの支持率は25%だった。

 先進国でNATOに入っていない日本が仲介役として相応しいかというと、プーチンと27回も会談して何の成果も上げられなかったアベシンゾウでは役者不足で、4年半も外務大臣をやって、やはり何の成果もなかった岸田文雄は論外だ。中国はパラリンピックが終わる3月13日以降に何らかの動きを見せるかもしれないが、中国の仲介で戦争が止まるかどうかは分からない。ウクライナは習近平の一帯一路の要衝だから、戦争は中国にとっても芳しくないのは確かだ。しかしプーチンが上げた拳を卸すだけの成果を中国が提供するのは難しいだろう。

 ひとつだけ、ゼレンスキー大統領が自分の名誉も意地も捨てれば、戦争が終結可能性はある。ミンスク合意の反故を取り消し、ロシアとフランスとドイツに謝罪するのだ。そしてロシア語を公用語にすると公約する。砲撃した東部の武装勢力に謝罪し、国民にも謝罪する。ゼレンスキーがプーチンに頭を下げる器量があるかどうか。そこにこの戦争の早期終結の可否がかかっている。しかし多分そんな器量はないだろう。彼はいまでもコメディアンである。問題の解決よりも、どういうパフォーマンスをすれば国民に受けるかを考えている。勇ましい自分を見せたいだけなのだ。さすがにテレビが作った大統領だけある。

 やっぱり世界のどこでも、アホが利口を支配している。絶望的だ。