映画「ポゼッサー」を観た。
タイトルの通り、肉体の所有者の話である。意識を乗っ取って、宿主の肉体を自由に扱う。依頼された殺人を実行し、そのあとで宿主を殺せば自殺にしか見えない。何の証拠も残さない完全犯罪だ。まずこのアイデアが見事である。よく思いついたものだ。
製作側には心理学や精神分析、または脳科学の知識があると思う。意識を乗っ取るといっても、無意識を含めた脳の働きのすべてを乗っ取れる訳ではない筈だ。乗っ取る事ができるのは意識の一部と関連する無意識の一部だけだという設定だと思う。つまり脳の働きの大部分を占める無意識は、ほとんど手つかずのままだ。そこが本作品のポイントだと思う。
人間は平凡な一日でも、200回ほどは何らかの選択をしている。その殆どは無意識が行なっているらしい。朝起きて最初にトイレに行くのか歯を磨くのか、そういったことは殆どが無意識によって決められている。なんとなくというやつだ。
無意識によるなんとなくの行動がたくさんあるのであれば、無意識も乗っ取らないと、肉体を自由に扱えない場合が生じる。それが本作品である。乗っ取ることができなかった無意識は宿主が所有者である。乗っ取っている意識と、宿主の無意識とが対立してせめぎ合う。ある意味でアイデンティティの戦いと言ってもいい。これは両方にとって苦しい。
殺し屋にとって、殺す対象は仕事を処理するだけだから躊躇なく殺せる。しかし殺しのために利用する人間を殺すのは、少し引っかかる。そこへ宿主の無意識が意識に流れ込んで来たら、パニックだ。
本作品はそのあたりを上手に表現してみせた。SNSの匿名性に個を埋没させる現代人が、特殊な機械と通信技術によって個を乗っ取られようとする危機に対して、どのように対応できるのか。
簡単な構図の作品であるが、テーマは意外に深い。斬新なアイデアとともに、印象に残る作品となった。