映画「三日月とネコ」を観た。
ネコ好き3人が一同に介する序盤は、コミュニケーションのぎこちなさが目立って、どうなることかと心配だったが、小林聡美が演じる小説家が登場してからは、物語に安定感が生まれた。やっぱり確固とした世界観の持ち主がいると、人間関係が締まる。
上村奈帆監督は、杉咲花主演の「市子」の脚本を担当しただけあって、日常的な台詞の中に、どこかアンバランスな要素を入れ込む。うまくいっているように見えた人間関係は、実は微妙なバランスで、かろうじて平衡を保っていただけだとわかる。
何度かレビューに書いたが、人生は幸せと不幸せのまだら模様だ。出会いがあれば、必ず別れがある。人生の達人は、素直に喜び、素直に悲しむ。幸せの時間は短く、不幸の時間は長い。やってきた幸せのひとときを、一期一会として楽しむことだ。いま、このときは、二度と来ない。
ネコを可愛がる人々がいる一方で、ネコをいじめる族(やから)もいる。無責任に捨てる者もいる。ネコに対する姿勢は、そのまま人生への対し方でもある。肯定的か否定的か。愛しい人に愛しいと伝えることは自分と周りの人たちを幸せにするが、嫌いな人に嫌いだと伝えることは、誰も幸せになれない。それは単なる悪意にほかならない。
ネコはどうだろう。可愛がってくれる人には、ゴロゴロと喉を鳴らす。かといって自分を無視する人を攻撃する訳ではない。捨てる人やいじめる人もいるが、恨みはしない。自分に危害を及ぼしそうな相手には全力で戦う。どんな相手にでもひとりで立ち向かうのだ。人間よりもネコのほうが、よほど潔い。
保護ネコを世話する施設の人は、飼育を途中で放棄することが許せない。川上麻衣子が演じた施設長は、終生飼育という言葉を使う。ひとたびネコを飼うと決めたら、そのネコが一生を終えるまで、責任を持って飼うということだ。自分がネコより先に死んだ場合のことも、ちゃんと準備しておかねばならない。
ネコに悪意はない。それどころか、一生のうちの大切な時間を自分のために費やしてくれる。これほど愛しい存在は他にないだろう。ネコに感謝できる人は、他人にも感謝できる。そして他人からも感謝される。幸福な時間は、肯定と感謝にあるのだ。
ほのぼのとしているが、人生に対する洞察がある。大切なものをただ大切にするだけでも、一定の覚悟は必要だ。しかしそうすることで人生は豊かになり、幸福の時間が増える。そういう作品だった。
実はこういう映画は、台詞や表情にたくさんの機微を盛り込むことを求められる、役者陣にとって大変な作品なのだ。小林聡美はもとより、安達祐実と倉科カナの名演に拍手。