映画「Comandante」(邦題「潜水艦コマンダンテ 誇り高き決断」)を観た。
カッペリーニと聞いて真っ先に浮かぶのは、冷製パスタに使われる細麺だ。モモやイチゴやサクランボなどと合わせて、ちょっと甘いパスタにすることもある。イタリア語では髪の毛という意味があると教わった。潜水艦の名前がカッペリーニ?
船の名前はともかく、本作品のタイトルでもある艦長は、潜水艦の隅々までを知り尽くし、大局から局所まで、大胆な決断を行ない、正確な指示を出す。なにせ戦争状態だ。統率を保つために、上官の命令は絶対である。しかしカッペリーニ号には、命令系統よりも、信頼関係が優位にある印象がある。艦長の人格の賜物だろう。
艦長の言葉はいずれも独特の世界観がある。戦争だからな、と言うときには、本当は戦争なんかしたくなかったが、参加した以上、義務は果たさなければならないという、諦観と悲壮感がある。俺たちは船乗りだ、と言うときは、海の男としての誇りがあり、イタリア人だから、と言うときには、出身地の風土と国民性に対する愛着がある。
この艦長なら、海に投げ出された人を必ず助けるだろうという安心感がある。裏切られても相手を殺さず、食料も平等に分け合う。それは戦争中でも人間性を失わないという矜持でもある。艦長はイタリア人で、海の男なのだ。
部下はおしなべていい奴ばかりだが、中でも調理担当のジジーノは素晴らしい。料理のことなら何でも知っていて、大量調理にもかかわらず、繊細で美味しい料理を作る。おまけにマンドリンが弾けて歌も上手い。スーパースターである。しかしこのような優れた才能を、戦争は海の藻屑にしてしまう。
愛しい妻に思いを馳せる艦長は、戦争が何かを知りつつ、自分たちを危険に晒しても、見ず知らずの男たちを助ける。本作品は、人間性と戦争の理不尽とのせめぎ合いを、潜水艦の狭い空間で描き出してみせた。