三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「お隣さんはヒトラー?」

2024年07月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「お隣さんはヒトラー?」を観た。
映画『お隣さんはヒトラー?』公式サイト

映画『お隣さんはヒトラー?』公式サイト

7月26日公開 映画『お隣さんはヒトラー?』公式サイト(MY NEIGHBOR ADOLF)の公式サイトです。終戦から15年、1960年の南米・コロンビア。余生を過ごす男の隣家に越してき...

映画『お隣さんはヒトラー?』公式サイト

 イスラエル映画だが、主人公のポルスキーが、ユダヤ人の気持ちを代表している訳ではない。ましてや、イスラエル政府の思惑とはまったくの無関係だ。それどころか、シオニズムを否定するような発言もある。イスラエル、ドイツ、ポーランドの合作であり、バイアスなしに鑑賞するのが正解だ。

 悲劇寄りの喜劇というと、変な言い方になるが、老人のあるあるがたくさん詰まったユーモラスな作品である。隣人のヘルマンを演じた俳優はそうでもないが、ポルスキーの俳優さんはとても達者で、ちょっとした表情に豊かな感情が見える。
 戦争で家族、特に黒いバラを愛した妻を失った悲しみがあり、家族を奪ったナチに対する怒りがある。恨みを果たしたい気持ちもあるが、許したい気持ちもある。もしかしたら忘れたい気持ちもあるかもしれない。
 自分の残りの人生が、長いのか短いのかわからないが、どうやって生きていけばいいのか、途方に暮れているようなフシもある。それに身体が言うことをきかなくなりつつあるという情けなさもある。年老いた悲哀を一身に背負っているポルスキーだ。

 一方の隣人ヘルマンには、消し去ることができない記憶があり、罪悪感がある。だから南米を転々としている。何度目かに越した先の隣人が、まさか大戦で生き残ったユダヤ人だとは思ってもみなかった。
 ふたりのスリリングな日々が始まる。ポルスキーの努力は大真面目だが、何故か笑える。一体何のためにやっているのか、本人にもよく分かっていない様子が垣間見える。そのうち、疑念が徐々に確信に変わっていく。決定的なシーンの演出が見事だ。

 ちょっとしたどんでん返しがあって、互いに戦争に蹂躙されていたのだと気づいてからは、二人の関係性が激変する。大切なものを贈りあうラストシーンはとてもいい。秀逸なヒューマンドラマである。

映画「劇場版モノノ怪唐傘」

2024年07月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「劇場版モノノ怪唐傘」を観た。
『劇場版 モノノ怪』公式サイト

『劇場版 モノノ怪』公式サイト

『劇場版 モノノ怪』7月26日(金)全国ロードショー 監督:中村健治、主演:神谷浩史

『劇場版 モノノ怪』公式サイト

「ここは大奥!」と、年寄の歌山の声が大広間に響き渡る。個性のない女中たちの顔は一様に渦巻きだ。個性を捨て去ることは、人格を捨てること、心を捨てること、魂を捨てることだ。それは人間として捨ててはいけないものではなかったか。

 本作品の大奥は、クラインの壺みたいに摩訶不思議な構造をしていて、内が外、上が下みたいになっている。かろうじて重力があって、登場人物が動けるようになっているが、モノノ怪と、それを討ち取ろうとする薬売りには重力は無関係のようで、歪んだ空間の中で、怪しい術が大奥の情念に対峙する。戦いはフィジカルよりもメンタルとスピリチュアルに展開する。

 物語は複雑だ。個性と自由を奪われた女たち。大奥には、押さえつけられた欲望や、心の奥底にひたすら隠しつづける怨嗟が渦巻いている。顔の渦巻きはその象徴でもあるのだろう。モノノ怪のエネルギーを生み出すのは、北川ひとりの恨みだけでは明らかに不十分だ。魂を差し出してしまった女たちの心の空洞の総量が、マイナスのエネルギーとして具現されたと考えるのが自然だ。

 絵はきれいだし、ストーリーはリズムとスピード感に満ちている。しかし薬売りをはじめとして、登場人物の素性が不明なところが玉に瑕で、人間関係がわかりにくく、そのせいで物語そのものが難解になってしまっている。もしかしたら、続編でそのあたりの事情や世界観が明らかになるのかもしれない。なんとも気になる作品ではある。

映画「キングダム 大将軍の帰還」

2024年07月27日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「キングダム 大将軍の帰還」を観た。
映画『キングダム 大将軍の帰還』公式サイト|大ヒット上映中!

映画『キングダム 大将軍の帰還』公式サイト|大ヒット上映中!

ついにシリーズ最終章。集大成にして最高傑作となる映画『キングダム 大将軍の帰還』大ヒット上映中!原作:原泰久「キングダム」(集英社「週刊ヤングジャンプ」連載)

 前の3作品を観ていないので、ネットで予習してから鑑賞した。学校で習った中国史では、冷徹な戦略家だったと思われる秦の始皇帝も、吉沢亮が演じると、感情の豊かな人間に見える。実際のところは、どうだったのかはわからない。
 わかるのは、中国史は殺し合いの歴史だったということだ。日本も同じだ。戦国時代や明治維新の殺し合いは、中国史と同じように残虐極まりない。

 作品としては面白いのだが、自分がその時代に生きていたら、一瞬で殺されてしまうその他大勢の兵士のひとりに違いないと思うし、または略奪され、蹂躙される平民のひとりで、画面に登場すらしないとも思う。
 日本では、国民のことを一顧だにしない政治家たちが、国会やその周辺で権謀術数に明け暮れている。大昔の中国でも同じだった。そういうことだ。
 映画を面白いと思ったのは、たとえば大谷選手の活躍を応援する気持ちと同じだ。下手をすると、政治のド素人の野球選手に投票しかねない気持ちでもある。鑑賞後は、脱力感を覚えてしまった。