映画「アイアム・ア・コメディアン」を観た。
開始から40分くらいのところで、投影機のトラブルで上映が中断した。ムラモトがアメリカに行く決意を相方に伝えた飲み会の場面が、急に暗転して音声だけになった。
敵の多いムラモトだが、映画を中断させるほど悪質な嫌がらせを受けるほどではない。映画の上映トラブルに遭遇したのは、これが初めてである。ここ8年ほどは毎年200本くらいを映画館で観ているから、確率としては1600分の1だ。復旧作業をはじめて30分経ったところで、直らないから払い戻しか、優待券で対応するとのこと。
半分弱を鑑賞した感想を言えば、ムラモトは弱者の味方、困っている人の味方である。だから権力者を茶化して笑い飛ばす。観点を変えて価値観をひっくり返すという、お笑い本来のネタをやっている。まさに王道である。ところが、ダウンタウンに代表される弱いものいじめのお笑いがテレビ番組を席巻するようになると、ムラモトは弾き出される。弾き出したのはテレビ局ではない。コンプライアンスがどうのと、権力者主導のパラダイムにまんまと乗せられた民衆だ。太平洋戦争を始めた当時の愚かな国民性は、少しも改善されていない。
日本の有権者の多くは、自分で考えず、自分の意見を持たない人たちだ。だから小池百合子みたいな姑息な人間が都知事に3回も当選する。レンホウの失敗は、若者に重心を置いた政策を発言したことだ。実は他にもたくさんの政策を発信しているのだが、テレビのニュースは、若者重視の発言のシーンばかりを流す。レンホウは若者しか助けないと思ってしまった高齢者は多いと思う。アベシンゾーが民主党は印象操作ばかりすると非難していたが、もっとも印象操作をしているのはマスコミである。権力と癒着したマスコミは、弱いものいじめの元凶だ。マスコミがムラモトを追い出すのは必然である。
それでもムラモトを応援する人々もいる。気骨のある劇場は、ムラモトを出演させる。独善の強権に確執を醸す人々はまだたくさんいるのだ。エゴが大手を振って罷り通る世の中が簡単に終わるとは思えないが、自分がいい暮らしをしたい人よりも、困っている人を助けたい人の数が多くなれば、この国は確実によくなるはずだ。頑張れ、ムラモト。