映画「墓泥棒と失われた女神」を観た。
アリーチェ・ロルヴァケル監督の作品では、2019年に「幸福なラザロ」を鑑賞した。ドストエフスキーの「白痴」に似た雰囲気と世界観を持つ作品として、高く評価した記憶がある。
本作品の主人公アーサーは、イタリア語でアートゥーと呼ばれる。田中という苗字の人が中国ではディエンツォンと呼ばれるようなものだろう。特技はダウジングで、棒や振り子がなくても探せる。
気になるのは、アーサーの能力はいつから目覚めたのかということだ。当方は、恋人ベニアミーナの失踪の後だという気がする。ベニアミーナを探そうとすると、気が遠くなることがあって、その地面の下には古代エトルリアの墓がある。
古代エトルリアは、現代のトスカーナ地方を中心に広がっていた都市国家群で、古代としては珍しく、女性の地位が低くなかったらしい。ベニアミーナの失踪は、古代エトルリアの遺跡と関係しているに違いないが、詳しいことは何も語られない。
ただ、ストーリーの上で女性が活躍するという点では、古代エトルリアに共通するものがある。そして何故かアーサーの周囲には女性がたくさん集まる。アーサーは考古学愛好家だから、ベニアミーナも同じように古代に詳しかったのだろう。特に古代エトルリアについては、彼女は好んで研究していたと思われる。
墓泥棒のろくでなしたちに重宝されて仲間に加わっているアーサーだが、仲間と違って、金儲けにはあまり興味がない。ベニアミーナを探し出して、また一緒に考古学の研究をするのが夢だ。アーサーがその意味の台詞を言うシーンはないが、物語の中でアーサーの真意が浮かび上がってくる。
毛糸のような赤い糸が、いくつかのシーンで登場する。運命の赤い糸のようだ。ベニアミーナとアーサーを結ぶ赤い糸。いつか赤い糸の端を探し出し、それを辿ってベニアミーナのもとに行く。そう願っているアーサーだが、行き着くのはいつも古代エトルリアの墓や遺跡だ。
現実と幻想が錯綜したアーサーの精神性を上手く描いた作品で、現実なのか夢なのか分からぬまま、赤い糸の端に出逢う。その先にベニアミーナがいるに違いない。アーサーは糸を掴む。しかしすぐに現実を知ることになる。糸は切れるのだ。それはたぶん、女神像の頭部を折ったのと同じだ。だからあのときアーサーは激怒した。
古代と現代、生者と死者。時の流れがすべてを忘却の彼方に押しやるが、忘れられないものもある。欲に塗れた世の中だが、美しいものはまだ残っている。アーサーは優しさに巡り逢えるだろうか。
ところで、トスカーナと言えば、葡萄のサンジョヴェーゼ種。サンジョヴェーゼと言えば、赤ワインのキャンティである。キャンティはたくさん種類があって、置いているレストランも多い。これからキャンティを飲むたびに、この映画を思い出すことにしよう。