映画「ショウタイムセブン」を観た。
ストーリー展開に意外性があって、とても楽しめた。綺麗事で終わらせないところがいい。ニュースキャスターといえども、聖人君子ではない。将来の展望もあれば欲もある。彼らにとって、社会の出来事はビジネスチャンスだ。世間の耳目を一気に集めるスクープを放送できれば、それを機に、エスタブリッシュメントとしての地位を確保できる。
そういう野望のないキャスターでも、世間的には安定した高収入の職業に満足していて、足をすくわれないように平穏に生きることを目標としている人もいるだろう。命懸けで事実を報道しようとするキャスターは、実は少ないのだ。それを責めることができないのは、わが身を振り返れば、誰しもが納得するところである。
職業は生きる術(すべ)であり、自分の能力と適性を考えて、別の職業に転じることも往々にしてある。自分が命懸けでないのに、他人に命懸けを求めるのは、自分勝手というものだ。
建設会社のハッパ(ダイナマイト)担当だったというだけで、発電所爆破のスキルが身につくかどうかは疑問だが、テロリストがとてもカジュアルな雰囲気なのは、銃規制の徹底した日本らしくていい。キャスターに過度に期待して逆恨みするのもリアリティがある。阿部寛は今回、かなり滑舌を頑張ったように見受けられるが、そこかしこに彼らしさが滲み出ていた。いい俳優さんだ。
主人公が視聴者に疑問を投げかけるのは、正常性バイアスを警告している意味合いに加えて、ジャーナリストをはじめとする他人にばかり期待して、自分では何も変革の行動を起こそうとしない人々に対する苛立ちでもあるだろう。自分が何をしても何も変わらないと思っている人が多ければ多いほど、政治も社会も何も変わらない。変わらないことで得をする者たちがのさばり続けるだけだ。弱くて貧しくて困っている人は、奉仕させられるだけの存在であり続ける。変わらないと思っている間は。