三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

芝居「修道女たち」

2018年11月05日 | 映画・舞台・コンサート

 下北沢の本多劇場で芝居「修道女たち」を観た。
 http://cubeinc.co.jp/stage/info/shudouzyotati.html

 下北沢はかなり久しぶりで、昔は駅を中心としてあちらこちらに商店が広がっていた印象だったのが、現在は工事中の駅のおかげで、なんとなく立体的でわかりにくい街になった感じである。RPGのダンジョンみたいで、いつか攻略してみたい気もする。
 さて芝居は15分の休憩を含めて3時間15分の長丁場である。修道女が6人と、村娘、雑用係みたいな人と保安官などが登場する。修道女たちはとても敬虔で、敬虔であるが故のバカバカしさやシュールさがあって、かなり笑える。
 マタイの福音書でイエス・キリストが最初に群衆に向かって言った言葉は「悔い改めよ、天国は近づいた」である。バプテスマのヨハネが唱えたと同じ台詞だ。そして本劇で修道女たちが口癖にするのは「悔い改めなさい」である。アーメンの代わりがギッチョラだ。
 自分たちではどうにもならない大きな力が働いたとき、修道女たちは兎に角祈る。祈るというのは自分以外の何かの力に期待することである。リアリストではないのだ。だから現実的な解決策を模索するのではなく、一発逆転の奇跡を試すことになる。その姿がなんとも滑稽で、なんとも悲しい。


映画「Searching」

2018年11月04日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「Searching」を観た。
 http://www.search-movie.jp/

 SNSをテーマとした映画は昨年公開のトム・ハンクスとエマ・ワトソンの「ザ・サークル」があった。SNSが参加者による同調圧力で村八分のように弱者を叩く炎上の場と化し、承認欲求を満たすために世界観が極端に狭くなり、衆愚になっていく様子を描いていた。
 本作品はそれとは一線を画し、SNSをツールとして失踪した娘の居場所を突き止め、真相を明らかにするストーリーである。兎に角パソコン画面の転移とポップアップが速い。羨ましいほどのマシンスペックと超ハイスピードの通信環境である。
 主人公は反省のない暴力的な父親だが、その検索能力は大したものである。テレビドラマ「相棒」の杉下右京警部がインターネットや防犯カメラの画像から手がかりを把む場面がよくあるが、この映画ではその場面が頻繁に現れ、目を離すことが出来ない。
 ストーリーもよく出来ているが、SNSの本当の姿を上手に表現しているところが興味深い。人がSNSにアップするのは本当の姿ではなく、こういうふうに思われたいという願望なのだ。そこには常に、同調圧力に気を遣う忖度が働いているし、弱者を徹底的に痛めつけることで強者になった感覚を味わう歪んだ承認欲求がある。
 ショーペンハウエルというドイツの哲学者が、対人関係では第一印象が最も正しいという意味のことを書いていた。知り合いになって話をするようになると、人は自分をよく見せる話しかしないから、第一印象が悪い人でも、話してみたらいい人だった、ということになる場合がある。しかし何か極端な状況が発生した時にその人の本性が現れると、やっぱりそういう人だったか、最初からそう思っていた、ということになる場合もある。
 ネット環境がない時代は対人関係は狭い範囲に限られていたから、場合によっては本音も言うし、愚痴もこぼす。しかしネット上では、無理をして自分を飾らなければならない。SNSはそういう落とし穴が無数にあって、沢山の人がその落とし穴にはまっている。失踪した娘も、例外ではなかったのだ。


映画「旅猫リポート」

2018年11月01日 | 映画・舞台・コンサート

 映画「旅猫リポート」を観た。
 http://tabineko-movie.jp/#/boards/tabinekokansou

 予告編の通り、飼い猫の行き先を中心にした終活がテーマの作品である。ともすれば暗くなり勝ちなプロットだが、高畑充希のあっけらかんと明るい声が、悲壮感を相対化している。人間にとっては重く苦しい死というテーマも、動物にとっては近しい日常なのだ。
 本作は猫のモノローグあっての作品で、それがなかったら自分の死期を知った好青年が昔の友人に会いに行って昔を思い出す、ゆっくりした走馬灯映画になるところであった。そういう意味では猫が主役だったと言ってもいい。
 福士蒼汰は深くものを考えない能天気な楽天家を演じさせると、とても上手い。破顔一笑という言葉を聞くとこの人の笑顔が思い浮かぶほどだ。本作品の、いい人の極北みたいな役にはぴったりだった。
 竹内結子は「あすか」の頃の演技がいまだにそのままだが、役によってはそういう演技が求められることがある。本作品の人のいい甥の人のいい叔母の役はまさにそういう役だった。
 世界観という点では必ずしも掘り下げた映画ではなかったが、こういった普通にいい人たちが登場する映画は、不寛容が蔓延したいまの世の中にあっては、一服の清涼剤のように清々しい感動をもたらすものだ。この作品を観て猫を飼いたくなった人もいると思う。