貴乃花の弟子貴ノ岩による付き人暴行事件でワイドショーが賑わっている。本人の自覚や相撲協会の姿勢などが問われているようだが、暴力事件が起きる本質はそんなところにはない。
人は何故人に暴力を振るうのか。大まかに言えば、自分を肯定して相手の人格を否定するからである。相手の人格を否定するには力関係という条件がある。例えば学校の友達が遅刻したりミスをしたりしても、簡単に暴力を振るうことはない。これが力関係が著しい関係性ではどうか。軍隊では上官が部下を殴るのは日常的だろうし、暴力団ではヘタを打った子分を親分や兄貴分が殴ったり指を詰めさせたりする。親は子供を殴るし、教師は生徒を殴る。体育会の先輩は後輩を殴るし、応援団の団長は団員を殴りまくる。創業社長は社員を殴って言うことをきかせる。日本中に暴力が溢れていると言っていい。
他人の人格を否定するまでに力関係が出来てしまうのは、封建的な精神性がいまだに生きているからである。封建主義は簡単に言うと、生活の糧を与えてくれる人に従うということである。一般に、社員は社長に従わなければならないし、子は親の言うことをきかなければならないが、何でもかんでもという訳ではない。労働契約で労働時間は企業の利益のために働き、命令系統には従う必要がある。家庭を維持するために親の言うことをきくのも当然である。しかし、憲法で保障されている基本的人権まで投げ出す義理はない。社長から頭を坊主にして土下座しろと言われても従う必要はないのだ。
ところが基本的人権を否定する封建主義が行き渡っている日本では、容易に相手の人格を否定して、暴力を振るう。軍隊の上官にとって部下の人格などないに等しい。暴力団の組長にとって組員は、親にとっての子と同じく、生活の糧を与えているのだから、言うことをきかないのは許せない。口答えをする子供を親が殴るように、親分は子分を殴る。教師は生徒を殴る。社長は社員を殴る。監督は部員を殴る。
日本は市民革命なしに民主主義が成立した国である。自分たちで勝ち取った自由や人権ではないのだ。だからいまだに人の人格を金で買えると思っている人がたくさんいる。経営者の多くに、労働時間外でも社員に電話をしたり深夜の出社を強要したりする人間がいる。本人は給料を払っているのだから当然だと考えている。人権蹂躙になるとはちっとも思っていないのだ。人を殴ることについても、殴られる側の人権などこれっぽっちも脳裏に浮かばないだろう。
封建主義の精神性を世の中から駆逐しない限り、暴行事件は永遠になくならないのだ。