映画「まともじゃないのは君も同じ」を観た。
女子高生と予備校講師という組み合わせは、恋愛ドラマとしては初めて見た。予備校という施設の性格からして、その場所で恋愛が育まれることは考えづらい。しかし本作品ではいくつかの条件をクリアすることでそれを可能にしたと思う。あくまで当方の勝手な想像ではあるが、以下のような条件だ。
・予備校はマンツーマン形式である
・女子高生は数年前から同じ講師に講義を受けていて気心が知れている
・女子高生は成績が優秀で、志望大学の入試に心配がない
・成績優秀が示すように、頭がいいから大人との会話ができる
・講師側も女子高生の合格見込みが高いので講義や時間に余裕がある
・講師はリベラルで女子高生の人格を尊重している
・女子高生の親は放任主義または娘を全面的に信頼している
まだ考えられる条件はあるかもしれないが、恋愛成立に直接的に必要な条件はこのくらいではないかと思う。しかしこれらの条件を満たしたからと言って、すぐさま恋愛がはじまる訳ではない。では他に何が必要なのか。それを上手に描いたのが本作品である。
成田凌はここ数年で鑑賞した映画では「スマホを落としただけなのに」のサイコパスみたいな犯人役や「カツベン!」の活動弁士役が印象的で、それぞれ全く異なる役を見事に演じているように、演技には太鼓判を押せる。清原果耶も成長著しく、本作品では演技上手なふたりがプラトニックではあるがトリッキングな恋愛模様を上手に演じてみせた。
脚本と演出がいい。演技がワンパターンの小泉孝太郎や表情の乏しい泉里香が脇を務めたが、脚本に助けられてのっぺりしたシーンにならずにすんでいた。ただ脚本にひとつだけ減点をつけるとすれば、泉里香とのシーンで主人公大野が突然饒舌になったのは違和感があった。その後に説明のシーンがあるが、ここはシーンを前後させたほうがよかった気がする。そのあたり以外は自然に台詞がつながっていて、最後まで楽しく鑑賞できた。
とにかく主人公ふたりの演技が完璧だということに尽きる。成田凌の大野は数学オタクの塾講師ならさもありなんという典型的な演技だった。普通ってなんだというオタクらしい心の叫びが非常に頷ける。「普通」というのはありふれたという意味だ。「普通はこうでしょ?」とイチャモンをつけてくるクレーマーがいたが、同じような意味で「普通」を間違って使う人が多い。大野の言い分は至極もっともなのである。
清原果耶の秋本香住の演技は大人になりかけの18歳の女子高生らしい揺れる心が伝わってくる。切なくて愛しくて悔しくてという乙女心をストレートに表現する映画は、なんだか懐かしい気がした。青春ラブストーリーの秀作である。