三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「月」

2023年10月15日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「月」を観た。

 とても面白かったが、とてもキツかった。

「本当のことを言え」
 まるで喉に刃物を突きつけられたような気がした。安全無事を願うこちらの心を見透かしているかのように、容赦なく問いかけは続く。
「きれいごとを言うんじゃないぞ」

「それが現実です」
 磯村勇斗のさとくんと、二階堂ふみの陽子の口癖だ。視野の狭さを感じる部分はあるが、介護者として日々触れ合う障害者たちと、五感全部で向き合わねばならない者たちの本音であることはたしかだ。

 しかし宮沢りえの主人公堂島洋子は、違和感を覚える。さとくんも陽子も、障害者と自分たちは違うと思っている。そこがおかしい。自分たちはたまたま健常者で生まれてきただけで、偶然に過ぎない。健常者であっても、いつ不慮の事故に遭って障害者にならないとも限らない。いつ災害に遭って家も財産もなくさないとも限らないし、いつ失業してホームレスにならないとも限らない。障害者やホームレスと自分たちの差は紙一重に過ぎないのだ。
 多くの人はうっすらとそのことに気づいていると思う。漠然とした不安や危機感は常にある。だからいまの安全無事を願う。君子危うきに近寄らず、李下に冠を正さず。見て見ないふりをする。きれいごとで表面を取り繕う。他人にも自分にも嘘をつく。
 そこを責められると、洋子には返す言葉がない。洋子には負い目がある。安全無事を願ってきたという負い目だ。しかし障害者の人格を否定するのは別の問題だ。ましてや生命さえ否定するのは、ナチスの優生思想と同じではないか。

 松山ケンイチが主演した映画「ロストケア」を思い出す。金持ちは痴呆症の要介護者を施設に入れるが、貧乏人は自分で介護するしかない。介護で働けなくてもその理由では生活保護費は支給されない。社会は穴の空いたバケツで、不幸な人たちは穴から落とされる。主人公の斯波はそう主張する。

 本作品は知的障害者施設が舞台だが、介護の現実は痴呆症と同じで、食事、入浴、トイレが自分でできない要介護者が相手だ。キツい仕事である。あまりのキツさから、要介護者に対する殺意が生じる。痴呆症も障害者も同じだ。
 要介護者の問題は社会全体で引き受ける必要がある。家族や施設の職員が生活を犠牲にしたり精神を病んだりしながら対処するものではない。税金は困っている人にこそ使われなければならない。使いもしない武器や兵器を買っている場合ではないのだ。

 しかし他人の不幸に自分の税金が使われることに納得しない人々がいる。障害者やホームレスと自分たちの差が紙一重に過ぎないことを理解しない人々だ。南青山の児童相談所の建設に反対した港区民がいたが、その理由がふるっていた。児相は街のイメージを低下させ、地価の下落を招くというのである。地位も財産もある人々かもしれないが、地位や財産はいっときの幻想だということを理解していない訳だ。
 政権を担う政治家も、二世三世が多く、地位や財産が永遠のものと勘違いしている。不幸な人には興味がない。困っている人を助けるのが政治だとは思っていない。困っている人々に当てられる予算は雀の涙である。さとくんを生み出したのは、そういう政治家を選び続ける我々なのだ。

映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」

2023年10月15日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「ゆとりですがなにか インターナショナル」を観た。
映画『ゆとりですがなにか INTERNATIONAL』

映画『ゆとりですがなにか INTERNATIONAL』

『ゆとりですがなにか インターナショナル』大ヒット上映中ですがなにか!人生、山あり谷ありゆとりナシ!?すべての世代に突き刺さるノンストップ新世代コメディ!!

映画『ゆとりですがなにか INTERNATIONAL』

 面白かった。悪人が登場しないホンワカした作品である。それに笑える。映画を観て笑うのはいい休日の過ごし方だろう。

 アメリカ映画の「ハングオーバー!」は、タイトルの通り二日酔いの男たちがブラックアウトで前夜の出来事をすべて忘れてしまったところからはじまる。とことんまで羽目を外した自分たちの行動に、最初は呆れ、次に絶望し、最後は笑ってしまうという、なんとも無責任なコメディである。あまりの馬鹿馬鹿しさと荒唐無稽の展開に、ハマる人が多くて、当方の周りでも続編を期待する声が多かった。続編は公開されたが、やはり第一作目が一番ケッサクだった。

 本作品は造り酒屋が舞台だけあって、酒を飲むシーンが何度も登場する。マッコリも登場するが、市販のマッコリの殆どは、人工甘味料のアスパルテームが使われているから、当方は飲まないことにしている。アスパルテームは、製パンに使われる臭素酸カリウムと同じく発ガン性が疑われている。製造会社や御用学者は安全だと主張しているが、人体について医学で分かっていることは1パーセントもないことは、医学界では常識だ。アスパルテームも臭素酸カリウムも、摂取した際の、発癌性以外の人体への悪影響については、まだ何も明らかになっていないと言っていい。
 その点、本作品の服部杜氏は、酒作りは自然のものだけを使うという信念の持ち主で、とても好感が持てる。マッコリも本場の高級品にはアスパルテームなど添加されていない。日本酒も本醸造には醸造用アルコールが添加される。だから当方は純米酒しか飲まない。酒米を作るのに化学肥料が使われているではないかという批判もあるが、植物の自浄作用を信じたいと思っている。少なくとも政治家や役人の自浄作用よりは何億倍も期待できるはずだ。

 ゆとり教育と言っても、あまりピンとこない人が多い気がする。タイトルは、ゆとり教育を受けて育った人間は学力が低くてやる気もないというイメージに反発するというものだが、そもそも世間ではそういうイメージが薄れているし、ゆとり世代という概念そのものが希薄になっている。
 作品中で韓国人役の木南晴夏が韓国語で「だからゆとりは」という台詞を言うときだけ、ゆとり世代を思い出させる。それ以外はほとんどゆとり教育と無関係だ。
 宮藤官九郎の脚本は天才的で、SNSやリモート、小型で高性能なWEBカメラなど、日常生活の中にインターネットが入り込んでしまったことや、LGBTやハラスメントに過度に反応する現代社会を面白おかしく物語にしている。敢えてゆとり世代の要素を入れる必要はなかった。欧米の映画だったら「SAKAMA FAMILY」というタイトルにしていると思う。それで十分だ。

 岡田将生は「1秒先の彼」でも宮藤官九郎脚本の役柄の演技が軽妙だった。今回も平凡で弱気な主人公坂間正和を見事に演じている。表情も台詞回しもいい。松坂桃李のエキセントリックな教師や、柳楽優弥のネットスキルと中国語に長けた失業者も愉快だ。吉田鋼太郎の謎のおっさんは、役の配置からして年配の登場人物が必要だったのだろう。何も否定しないところがいい。作品を効果的にゆるくしている。妻役の安藤サクラは、6月に鑑賞した「怪物」、9月に鑑賞した「BAD LANDS」に続いて3つ目の出演作である。どんな役を演じても等身大の存在感がある。引っ張りだこになる訳だ。