三無主義

 ~ディスパレートな日々~   耶馬英彦

映画「白鍵と黒鍵の間に」

2023年10月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「白鍵と黒鍵の間に」を観た。
映画『白鍵と黒鍵の間に』オフィシャルサイト

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映画『白鍵と黒鍵の間に』/主演:池松壮亮 原作:南博「白鍵と黒鍵の間に」(小学館文庫刊) 監督・脚本:冨永昌敬 脚本:高橋知由 音楽:魚返明未

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 井上陽水の「傘がない」という曲をご存知だろうか。冒頭の歌詞は衝撃的だ。

都会では自殺する
若者が増えている
今朝来た新聞の
片隅に書いていた
だけども問題は今日の雨
傘がない

 曲のリリースは1972年で本作品よりも13年前だが、世界観はよく似ている。

 人類は不幸の歴史を積み重ねているが、個人は小さなことに喜び、小さなことに嘆く。自分の成功と家族や恋人や友人など、近しい者たちの幸福を願う。そこまではいい。しかし自分の幸福を願うのは、他人の不幸を願うのと紙一重だ。どれほど多くの若者が自殺しようとも、今日の雨に差す傘がないことのほうが問題だと、人間はそんなものだと、陽水は歌ったのである。
 自分たちの幸福が共同体の繁栄に支えられていると思えば、やがて共同体の繁栄が自分たちの繁栄だという論理に結びつく。それはとりも直さず、他の共同体の不幸を祈ることと紙一重だ。戦争をはじめる族(やから)たちの心理である。

 ジャズピアニストを志す青年の、ふたつの時間と空間が銀座で交錯する。ジャムセッションでは、複数の楽器がそれぞれにソロを奏で、やがて重なり合うときの微妙なズレが心地のいいグルーヴ感を醸し出す。そんな感じの映画である。ちなみにフランス語の nonchalant は、アメリカ英語の cool に似ている。無愛想で冷たくて、カッコいい。
 主人公の南博が nonchalant になりきれない俗物に設定されているのもいい。人類はクソだが、音楽は無上だという音楽至上主義者だ。しかし残念ながら音楽が人々に親切や寛容をもたらすことはない。むしろ金儲けの道具にされ、または「推し」の対象になり、既に差別が始まっている。能天気な南博は自分の小さな成功を夢見るが、それもまた他人の不幸を踏み台にした成功であり、音楽が優しい世界を実現するという理想に反する。池松壮亮は夢と諦めの間で引き裂かれそうな主人公を絶妙に演じて見せた。自分を維持するためにスタイリッシュに振る舞う。

 現実と理想、希望と絶望が対比され、主人公が内包する矛盾が時間軸のズレとなって作品を支える。ドタバタの展開とは裏腹に、なかなか哲学的な作品なのである。

映画「アナログ」

2023年10月10日 | 映画・舞台・コンサート
 映画「アナログ」を観た。
映画『アナログ』公式サイト

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主演:二宮和也×ヒロイン:波瑠 会えるのは、木曜日だけ。僕が恋をしたのは、携帯を持たない君でした。好きだから、会いたい―いつの時代も変わらない“アナログ”な想いを描...

映画『アナログ』公式サイト

 百人一首にある平兼盛の歌を思い出した。

しのぶれど
色に出でにけり
わが恋は
ものや思ふと
人の問ふまで

 インターネット、特にスマートフォンは、我々の生活を劇的に変えた。手紙を書いたり固定電話の前で着信を待ったりすることはない。待ち合わせで何時間も待つこともない。図書館や本屋で調べ物をしたり、人に道を聞いたりすることもない。映画も食事も交通機関もスマホで予約できるし、買い物もできる。東西南北、老若男女、悉くスマホを使いこなして便利に生活している訳だ。
 では、代わりに失われたものはなんだろうと考えると、ちょっと悩む。いろいろ考えられるが、一番大きいのは、自分ひとりで考える時間ではないだろうか。それは他人との距離感が狭められたことに由来する気がする。
 ツイッターでは、会ったこともない人同士が互いに中傷し合ったり非難し合ったりしているのを見かける。大事なのは自分でよく考えることなのに、他人を論破することにエネルギーと時間を使っている。人生の浪費だ。スマホを持つことで損なわれようとしているのは、人間としての深みかもしれない。

 スマホがない方がいいと言っているのではない。時間の節約やら勘違い防止やらで、スマホがあったほうがいいのは間違いない。しかしその分、スマホに振り回されているのも事実である。
 ほんの30年前までは、携帯電話さえ普及していなかった。スマホが普及したのはここ15年くらいである。それが今や、電車に乗ればほとんどの人がスマホの画面を見ているし、道を歩きながら見ている人も多い。明らかに依存である。

 こういう作品を観ると、スマホを持たない生活もありだなと思う。日常でも旅行でも、事前にスマホでよく調べてしまうから、出逢いの喜びよりも落胆のほうが大きくなってしまうことがある。絶景を見ても、感動より前に撮影する。目的地に向かう道端の花の可憐な美しさに気づかない。自分で感じたり考えたりする時間を削ってしまうと、人生を損しているような気もしてくる。

 波瑠のみゆきは綺麗だったし、二宮和也はやっぱり演技が上手い。なんだかホッとする作品だった。