担い手と観客にそれぞれの思い 華やか時代祭行列 2007年10月23日 京都
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007102200140&genre=I1&area=K10
時代祭が22日、京都市中心部で催された。晴れがましい気持ちで大舞台に臨む3世代や元五輪選手、初めて加わった室町時代列を感慨深く見守る人…。担い手と観客それぞれの思いを乗せて、華やかな行列が都大路をゆっくりと進んだ。
■元五輪選手、初心で乗馬
楠公上洛列で武将役として馬に乗った牧場経営の高宮輝千代さん(65)=右京区=は、1972年のミュンヘン五輪に馬術の日本代表として出場し、大観衆を前に競技した経験がある。
2カ月前から馬をゆっくり歩かせる練習を重ねた。この日、計20キロにおよぶよろいやかぶとを身に付けて初めて馬に乗り、背筋を伸ばして堂々と進んだ。「初心に帰り、気を引き締めて臨みました」と語った。
■「足利将軍」に感慨
新たに加わった室町時代列が京都御苑を進むと、綾部市の四方八洲男市長(67)をはじめ、「全国足利氏ゆかりの会」の自治体や社寺関係者約50人は観覧席から大きな拍手を送った。
栃木県足利市から訪れた会長の吉谷宗夫市長(77)は「明治から戦前にかけて尊氏公は『逆賊』とされ、歴史的に果たした役割を否定された。時代祭に加えてほしいという長年の願いが実り、今こそようやく光があたった」と感慨深そうに「足利将軍」を見上げた。
■3代、笑顔の晴れ姿
藤原公卿(くぎょう)参朝列には、中京区の田中治行さん(70)と長男の木材販売業元行さん(39)、孫の智仁君(9)=御所南小4年=が3代そろって初参加した。
出発前、智仁君は白塗りの化粧姿に少し照れた様子で、随身武官にふんした元行さんは「大昔に暮らしていた人と同じ格好で歩くのは感慨深い」とやや緊張気味だった。そんな2人のそばで治行さんは「古希の年にみんなで祭りに参加でき、こんなにめでたいことはない。忘れられない1日になりそう」と顔をほころばせた。
■「エネルギーと意欲を感じた」
「時代祭」と記されたのぼりを掲げ、飲食店経営の清水武夫さん(68)=東山区=が行列の先頭付近を進んだ。「旗持ちのなかでも、一番旗は重責。これを持つ誇りと喜びがある」。そう話しながら、さわやかな秋風にはためくのぼりを誇らしげに支えた。
行列の最後尾を行く馬車には、3月に時代祭を主催する平安講社総長に就任した元文部大臣の奥田幹生さん(79)=山科区=が乗った。
馬車に乗るのは市会議長を務めていた1978年以来。「祭りを創設した明治の京都市民の先見性はすばらしい。行事を続ける市民のエネルギーと意欲を感じます」と話した。
洛北の夜空、赤く染める松明の炎 勇壮「鞍馬の火祭」2007年10月23日 京都
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007102200165&genre=J1&area=K1D
京都三大奇祭の一つ、「鞍馬の火祭」が22日夜、京都市左京区鞍馬本町の由岐神社一帯で営まれた。大松明(たいまつ)の炎が洛北の夜空を赤く染め、訪れた人たちが勇壮な火の祭典に酔いしれた。
火祭は10世紀半ば、由岐神社が京都御所から鞍馬へ移される際、沿道でかがり火がたかれた故事にちなむ。
午後6時、「神事にまいらっしゃれ」の掛け声とともに、鞍馬の家々の前にかがり火がともされた。子どもは小さな松明、若者は長さ約5メートルの大松明を担いで街道を練り歩いた。
大小の松明は午後8時すぎから、鞍馬寺の山門前の石段に集まり始めた。バチバチと音を立てて火の粉が舞い上がり、「サイレヤ、サイリョウ」の掛け声が手拍子に乗って響き、松明が集結して盛り上がりは頂点に達した。このあと、石段上から修理された2基の神輿(みこし)が下りてきて、黄金色の本体がひときわ輝いていた。
下鴨署によると、約1万200人が繰り出した。
時代祭は今年から室町時代列が加わるということで注目されていたのですが、幸い天気も良かったこともあり、かなりの人手でにぎわったようですね。京都の三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)はいずれも市内で行われるため、昨日のような天気の良い日には沢山の観光客が集まるのですが、今年は月曜日に開催ということもあり、有給をとって京都観光の一つとして、このお祭を遠方から見に来られた方も少なくなかったのではないかと思います。
また夕方からは、鞍馬の火祭が実施され、私も今回初めて見に行ったのですが、確かに素晴らしかったです。京都では2000年?の大晦日に“炎の大祭典”と称して、大文字の送り火や鞍馬の火祭、松上げなどを行うイベントがあり、地元テレビ局が7時間30分にわたって放送した番組を見たことがあったのですが、やはりテレビの映像で見るのと実物とでは全然違いますし、一度は生で見てみるもんだな…と感じました。
ただ、問題は行きと帰りのアクセスで、鞍馬に泊まる方や時間をずらして帰ることができる京都市内に在住の方(市内のホテルに泊まる方)はまだ良いのですが、日帰り組にとっては、火祭り当日は一般車両の近辺への乗り入れは禁止され、シャトルバスも動かさないため、移動手段は2両でしか運行できない叡山電鉄で30分強揺られるしかないわけで…。
まあ、シャトルバスを出すと、どうしても車で乗り入れようとするマナーの悪い方が出てくるので、今のやり方を続けているのだとは思いますが、帰りの電車に乗るだけで1時間以上待たされるのでは、せっかくのお祭の感動が半減してしまいますし、例えば、夜の8時以降のみシャトルバスを運行(当然ながら一般車両は通行禁止にする)する(鉄道料金より多少割高になっても、長時間待たされることを考えたら十分需要はあるかと思います。)など、もう少しアクセス面での運用を改善してくれればもっとお祭のイメージもよくなるのに…といったことをどうしても考えてしまいました。まあ、こちらはあくまでも見学させてもらっている立場ですから、あまり文句は言えませんけどね…(^^
ちなみに見学時には、上にあげた事情があるので、移動時には尿意を及ぼさないためにも水分摂取は最小限にして、また目の前で火が飛び散るお祭なので、燃えにくい素材の衣服を着て見に行くことをお勧めします。
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007102200140&genre=I1&area=K10
時代祭が22日、京都市中心部で催された。晴れがましい気持ちで大舞台に臨む3世代や元五輪選手、初めて加わった室町時代列を感慨深く見守る人…。担い手と観客それぞれの思いを乗せて、華やかな行列が都大路をゆっくりと進んだ。
■元五輪選手、初心で乗馬
楠公上洛列で武将役として馬に乗った牧場経営の高宮輝千代さん(65)=右京区=は、1972年のミュンヘン五輪に馬術の日本代表として出場し、大観衆を前に競技した経験がある。
2カ月前から馬をゆっくり歩かせる練習を重ねた。この日、計20キロにおよぶよろいやかぶとを身に付けて初めて馬に乗り、背筋を伸ばして堂々と進んだ。「初心に帰り、気を引き締めて臨みました」と語った。
■「足利将軍」に感慨
新たに加わった室町時代列が京都御苑を進むと、綾部市の四方八洲男市長(67)をはじめ、「全国足利氏ゆかりの会」の自治体や社寺関係者約50人は観覧席から大きな拍手を送った。
栃木県足利市から訪れた会長の吉谷宗夫市長(77)は「明治から戦前にかけて尊氏公は『逆賊』とされ、歴史的に果たした役割を否定された。時代祭に加えてほしいという長年の願いが実り、今こそようやく光があたった」と感慨深そうに「足利将軍」を見上げた。
■3代、笑顔の晴れ姿
藤原公卿(くぎょう)参朝列には、中京区の田中治行さん(70)と長男の木材販売業元行さん(39)、孫の智仁君(9)=御所南小4年=が3代そろって初参加した。
出発前、智仁君は白塗りの化粧姿に少し照れた様子で、随身武官にふんした元行さんは「大昔に暮らしていた人と同じ格好で歩くのは感慨深い」とやや緊張気味だった。そんな2人のそばで治行さんは「古希の年にみんなで祭りに参加でき、こんなにめでたいことはない。忘れられない1日になりそう」と顔をほころばせた。
■「エネルギーと意欲を感じた」
「時代祭」と記されたのぼりを掲げ、飲食店経営の清水武夫さん(68)=東山区=が行列の先頭付近を進んだ。「旗持ちのなかでも、一番旗は重責。これを持つ誇りと喜びがある」。そう話しながら、さわやかな秋風にはためくのぼりを誇らしげに支えた。
行列の最後尾を行く馬車には、3月に時代祭を主催する平安講社総長に就任した元文部大臣の奥田幹生さん(79)=山科区=が乗った。
馬車に乗るのは市会議長を務めていた1978年以来。「祭りを創設した明治の京都市民の先見性はすばらしい。行事を続ける市民のエネルギーと意欲を感じます」と話した。
洛北の夜空、赤く染める松明の炎 勇壮「鞍馬の火祭」2007年10月23日 京都
http://www.kyoto-np.co.jp/article.php?mid=P2007102200165&genre=J1&area=K1D
京都三大奇祭の一つ、「鞍馬の火祭」が22日夜、京都市左京区鞍馬本町の由岐神社一帯で営まれた。大松明(たいまつ)の炎が洛北の夜空を赤く染め、訪れた人たちが勇壮な火の祭典に酔いしれた。
火祭は10世紀半ば、由岐神社が京都御所から鞍馬へ移される際、沿道でかがり火がたかれた故事にちなむ。
午後6時、「神事にまいらっしゃれ」の掛け声とともに、鞍馬の家々の前にかがり火がともされた。子どもは小さな松明、若者は長さ約5メートルの大松明を担いで街道を練り歩いた。
大小の松明は午後8時すぎから、鞍馬寺の山門前の石段に集まり始めた。バチバチと音を立てて火の粉が舞い上がり、「サイレヤ、サイリョウ」の掛け声が手拍子に乗って響き、松明が集結して盛り上がりは頂点に達した。このあと、石段上から修理された2基の神輿(みこし)が下りてきて、黄金色の本体がひときわ輝いていた。
下鴨署によると、約1万200人が繰り出した。
時代祭は今年から室町時代列が加わるということで注目されていたのですが、幸い天気も良かったこともあり、かなりの人手でにぎわったようですね。京都の三大祭(葵祭、祇園祭、時代祭)はいずれも市内で行われるため、昨日のような天気の良い日には沢山の観光客が集まるのですが、今年は月曜日に開催ということもあり、有給をとって京都観光の一つとして、このお祭を遠方から見に来られた方も少なくなかったのではないかと思います。
また夕方からは、鞍馬の火祭が実施され、私も今回初めて見に行ったのですが、確かに素晴らしかったです。京都では2000年?の大晦日に“炎の大祭典”と称して、大文字の送り火や鞍馬の火祭、松上げなどを行うイベントがあり、地元テレビ局が7時間30分にわたって放送した番組を見たことがあったのですが、やはりテレビの映像で見るのと実物とでは全然違いますし、一度は生で見てみるもんだな…と感じました。
ただ、問題は行きと帰りのアクセスで、鞍馬に泊まる方や時間をずらして帰ることができる京都市内に在住の方(市内のホテルに泊まる方)はまだ良いのですが、日帰り組にとっては、火祭り当日は一般車両の近辺への乗り入れは禁止され、シャトルバスも動かさないため、移動手段は2両でしか運行できない叡山電鉄で30分強揺られるしかないわけで…。
まあ、シャトルバスを出すと、どうしても車で乗り入れようとするマナーの悪い方が出てくるので、今のやり方を続けているのだとは思いますが、帰りの電車に乗るだけで1時間以上待たされるのでは、せっかくのお祭の感動が半減してしまいますし、例えば、夜の8時以降のみシャトルバスを運行(当然ながら一般車両は通行禁止にする)する(鉄道料金より多少割高になっても、長時間待たされることを考えたら十分需要はあるかと思います。)など、もう少しアクセス面での運用を改善してくれればもっとお祭のイメージもよくなるのに…といったことをどうしても考えてしまいました。まあ、こちらはあくまでも見学させてもらっている立場ですから、あまり文句は言えませんけどね…(^^
ちなみに見学時には、上にあげた事情があるので、移動時には尿意を及ぼさないためにも水分摂取は最小限にして、また目の前で火が飛び散るお祭なので、燃えにくい素材の衣服を着て見に行くことをお勧めします。