昨日の新聞が気にかかっている
朝日新聞の朝刊、オピニオン紙面
「ザ・コラム」欄、編集委員の外岡秀俊氏の一文
(コラムや一文と言うには長いが)
96才今も現役のジャーナリスト むのたけじさん
最近ようやく、物事の本質が見えてくるようになった
揮毫を頼まれると
「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」と書く
戦中のジャーナリズムは自主規制をして
本当のことを書くことなく、結果軍の後押しをしてしまった。
戦争をあおった責任にけじめをつけて、朝日新聞を辞めて
横手市で「たいまつ」を発行して来た。
その氏が2004年の琉球新報の特集「沖縄戦新聞」を見た。
もし戦時に検閲がなかったらどんな報道をしていたかを
史実に忠実に再現していた。
新聞社を辞めることが良心だと思っていたが
新聞記者は常にペンとの戦いを貫かねばならない。
長生きをしたからこそそう思えるようになった。
「全く愚かな辞め方だった」という。

死ぬまで日々成長をする。
で、「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」ということになるが
凡人は果たしてそんなことになれるだろうか?
日々考えがまとまらなくなり、長考すると始めのことは忘れる。
その上認知症になるかもしれないし・・
「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」は
健康的、能力的に恵まれた人だけの考えではないだろうか??
私の頭を離れなかった思いは、今日このブログで一段落をし
「今が、てっぺん」であっけなく終わりそうだ。
朝日新聞の朝刊、オピニオン紙面
「ザ・コラム」欄、編集委員の外岡秀俊氏の一文
(コラムや一文と言うには長いが)
96才今も現役のジャーナリスト むのたけじさん
最近ようやく、物事の本質が見えてくるようになった
揮毫を頼まれると
「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」と書く
戦中のジャーナリズムは自主規制をして
本当のことを書くことなく、結果軍の後押しをしてしまった。
戦争をあおった責任にけじめをつけて、朝日新聞を辞めて
横手市で「たいまつ」を発行して来た。
その氏が2004年の琉球新報の特集「沖縄戦新聞」を見た。
もし戦時に検閲がなかったらどんな報道をしていたかを
史実に忠実に再現していた。
新聞社を辞めることが良心だと思っていたが
新聞記者は常にペンとの戦いを貫かねばならない。
長生きをしたからこそそう思えるようになった。
「全く愚かな辞め方だった」という。

死ぬまで日々成長をする。
で、「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」ということになるが
凡人は果たしてそんなことになれるだろうか?
日々考えがまとまらなくなり、長考すると始めのことは忘れる。
その上認知症になるかもしれないし・・
「死ぬるとき、そこが人生のてっぺん」は
健康的、能力的に恵まれた人だけの考えではないだろうか??
私の頭を離れなかった思いは、今日このブログで一段落をし
「今が、てっぺん」であっけなく終わりそうだ。