草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

安倍談話は戦後の言論空間を打ち破る第一歩にすべきだ!

2015年02月09日 | マスコミ評

戦後70年の安倍首相の談話をめぐって、マスコミは足を引っ張ることしか考えていない。彼らの頭にあるのは中共や韓国であり、そこからの批判を異常に恐れている。いやそれを口実にして、戦後の言論空間を守り抜こうとしているのだ。しかし、本当にそれでよいのだろうか。江藤淳が指摘していたように、戦後の日本は言葉すらも奪われたのである。大東亜戦争ではなく、大平洋戦争と呼ぶことを強いられ、それによって自分たちの物語も否定されてしまったのだ。『自由と禁忌』のなかで江藤の切実な叫びを我々は思い起こすべきではないだろうか。言葉が使えなくなることは、地理や歴史も縁遠くなることであった。それは「言葉につながるふるさと」の喪失でもあったからだ。「たしかに『日本』も『ふるさと』も、そこにあるといえばあるともいえる。しかし、今や誰もが、作家でさえも、自分がそれを所有しているという切実な感覚を持ち得なくなっているのである」「この国土も郷土も、自分のものであってしかも自分のものではない。その国土と郷土が形成する地理的空間に堆積する歴史的時間もまた自分のものであってしかも自分のものではあり得ない。なぜなら、経験が奪い取られたとき、その経験を成立させて来た空間も同時に奪い取られてしまったから」。今予定されている安倍談話は、そこから抜け出るための、第一歩でなければならないのである。

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