日本が侵略やテロの危機に、さらには経済的にも大きな試練の目に立たされているのだから、国民が一致しようとするのは当然のことだ。それを「今の日本は翼賛体制の第二段階」とか主張するのは、日本の戦後サヨクの特徴である。会田雄次が嘆いていたように、その原因は「アメリカのピューリタン風建前民主主義と社会主義という日本の伝統的精神風土と全くそぐわないものを何の反省もなく受け入れた」(『たどり来し道』)からなのである。その二つの勢力が対立や結託しながら、戦後の日本の言論空間を支配してきた。全面講和運動、反安保騒動を繰り広げてきた背景には、常にそうした背景があった。そのスローガンはいつも「戦争がおこる、いやファシズムになる、帝国主義の手先になる」であり、一体私たちは何度聞かされたことだろう。会田に言わせると「途方もなく愚劣な運動」が日本中を荒れ狂ったのである。相も変わらず、そんな人騒がせなことをしている連中が、まだまだいるのだから驚きだ。自らを「著名な言論人」を名乗っているあたりが滑稽である。所詮はテレビやラジオに出たことがあるというだけで、自分たちを別格扱いしていい気になっている。不安を煽りたてているのが「日刊ゲンダイ」となれば、もはや漫談のレベルである。日本ほど言論の自由な国はない。一国の総理大臣を公然と罵倒することも許され、天皇陛下だってその例外ではない。お隣りの中共や韓国はそうではない。日本人でありながら日本を憎む自称「著名な言論人」は、かつての進歩的文化人の縮小再生産でしかないのである。
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