異質な民族が仲良く暮らすことができるのだろうか。我が国も一度はその夢に賭けたことがあった。大東亜共栄圏の構想である。欧米との関係を断っても、アジアが一つになれば、日本はやっていける。その理想を掲げたのである。しかし、それはかなわぬ夢でしかなかった移民を大量に入れるというのは、その過ちを繰り返すことではないか。人々が国境を越えて自由に往来できる。それは人類にとって理想の姿でもあるが、必然的に文明の衝突をもたらす。イスラムの人々がヨーロッパに働きに行って孤立してしまっている。ISISが附け込むのはそこなのである。世界の国々が人的な交流を通して争いのない世界をつくらなくてはならないが、その一方では文明の衝突を回避する手立ても講じなくてはならない。経済合理性にもとづいて、人口減少だから外国から人を連れてくる。そんな単純なことではないのである。曽野綾子が産経新聞に掲載されたコラムで、アパルトヘイトを容認する発言をした。曽野は「20~30年も前に南アフリカ共和国の実情を知って以来、私は、居住区だけは、白人、アジア人、黒人というふうに分けて住む方がいい、と思うようになった」と書いたのである。早速、南アフリカのモハウ・ペコ駐日大使から抗議をされたが、一緒に仲良くなどというのは夢物語でしかない。しかも、曽野が言うまでもなく、それぞれに分かれて生活をしているのが現状だ。ちょっとしたきっかけで内戦になる危険性があり、安易に移民に依存すれば、安心安全な日本は失われてしまうのである。
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