昭和11年の今日、2・26事件が起きた。そこで深く関与していたわけではないのに、権力のでっちあげで革命家北一輝は銃殺されたのである。今思い起こすべきは、この日決起した青年将校や北は、東条英機らの統制派とは違って、対米戦争を恐れていたという事実である。天皇陛下の大権にもとづいて国家改造を目指していた北は、国際情勢についてもリアリストであった。勝てない戦争にのめり込むことには、断固反対をしたのである。松本健一も『北一輝の革命』で書いているように、北は昭和7年の「対外国策ニ関ス建白書」と昭和10年の「日米合同対支財団提議」でその危機感を訴えている。「米露何レガ主タリ従タルニセヨ、日米開戦ノ場合ニ於テハ、英米二国ノ海軍力ニ対抗スルト共ニ、支那及ビ露西亜トノ大陸戦争ヲ同時ニ且最後迄戦ハザルベカラザル者ト存候」。しかし、日本は昭和16年12月8日に対米戦争に突入し、約300万人の尊い命を失うことになったのである。歴史は皮肉なもので、平成の世の日本がその過ちを繰り返そうとしている。アメリカ敵視することが日本の平和を維持するかのような言説がまかり通っている。とくに、ポストモダンとは評される思想家は、バックボーンがないだけに、戦後のサヨク史観から抜け出せずにいる。日本はアメリカの桎梏から解放されなくてはならないが、それは日米の同盟関係を否定するものであってはならない。その重要性を私たちに教えてくれたのが革命家北一輝なのである。
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