草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

所得の分配に重点を置くピケティの思想は昔からあった!

2015年02月01日 | 経済

トマ・ピケティの『21世紀の資本論』については機会をみて精緻な分析をしてみたいが、経済成長よりも所得の分配に重点を置く経済政策は、何も新しいことではない。それを無視してかかると、社会は大変なしっぺ返しを受けるからだ。吉川洋は『構造改革と日本経済』において、戦後の日本でも論争になったことを紹介している。昭和34年には経済学者の中山伊知郎と都留重人の間で、所得倍増をめぐっての応酬があった。推進派の中山に対して、都留は経済成長が進めば、格差が深刻になると批判したのである。「日本の経済は今までどおり独占的大企業を強め、中小企業の企業主や労働者をしぼりあげる方向に進んでいくだろう。生産性のおそい農業も、おのずから取残されていくだろう」(朝日ジャーナル昭和34年7月19日号)と主張したのである。しかし、その予測ははずれた。経済成長によって日本は、世界に例のない平等な社会につくりあげたのである。ピケティに言わせると、それは第二次世界大戦で日本の旧体制が崩壊したために、新たな勢力の台頭の場となったからであり、経済成長の果実とは言えないかも知れない。そうであっても最低2パーセントの成長を達成しなくては、富は行き渡らないのではないだろうか。停滞は所得の再分配すら難しくするからだ。吉川もそこで指摘しているように、日本が豊かになったからこそ、平均寿命が世界一になったのである。さらに、日本社会特有の共助の意識が、政治の分野で働いたことも否めず、アメリカやヨーロッパ社会を見るような価値尺度ではなく、新たな視点が大事になってきているのではないか。ピケティはそれを議論する素材を提供してくれたわけだから。

 

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