神学的な法律論争を好きなインテリよりも、目に一丁字ない大衆のエネルギーが世の中を動かすのである。池田信夫や八幡和郎はインテリだけに、法律にもとづく緻密な議論をしているが、それ以上に大衆は怒り心頭に発しているのである。民主党政権で大臣まで務めた人間が二重国籍であったならば、売国奴そのものであるからだ。勘違いでなくて確信犯であることは、これまでの報道によってもバレバレである▼中共や北朝鮮で同じようなことが発覚すれば、極刑は免れないだろう。法律的には不備であってたのは、想定外であったからである。国政の決定の場に影響を与えるのであれば、国籍が日本でなくてはならない。それは常識のレベルである。それを否定する人間はいないと思う。私たちはコスモポリタンではなく、あくまでも日本人なのである▼柳田國男は『先祖の話』において「この嚝古の大時局に当面して目ざましく発露した国民の精神力、殊に生死を超越した殉国の至情」に胸打たれたことを書いている。それは勇ましい軍人の最期を賛美したのではない。「年久しく培い育てて来た社会制、わけても常民の常識と名づくべきものが、隠れた大きな働きをして居る」ことに注目したのだ。軍部を批判しても、体当たりした若者の行動を否定はしなかった。そうした日本の国柄を蓮舫は理解していない。インテリの攻撃には反撃できても、大衆レベルの怒りが爆発すれば、即刻国会議員を辞めるしかないだろう。それは法律以前の問題であるわけだから。
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