草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

右であろうと左であろうと言論の自由を圧殺すべきではない!

2016年09月23日 | 祖国日本を救う運動

あらゆる言論弾圧に反対する。右であろうと左であろうと表現の自由は守られなければならない。それを許容できないような社会は、政治レベルの物理的な抹殺の論理が横行することになる。行動する保守運動の言い分も、それなりに傾聴に値する。彼らの問いかけにどう応えていくか、日本のリベラルは問われているのである▼行動する保守運動に論戦を挑む度量もなく、問答無用で押しつぶそうとするのは、全体主義の特徴であり、かつてソ連が反体制活動家を収容所群島に送り込んだここと変わりがない。70年代前後の日本の大学では、一部のゲバ棒で武装した者たちによって、自由に物を言うことができなかった。それを再現しようとしているのだろうか▼日本では暴力革命を志向するグループであろうとも、言論のレベルにとどまるのであれば、処罰の対象にはならない。なぜ行動する保守運動だけ目の敵にするのだろうか。朝鮮学校が弾道ミサイルで日本を脅している国家の意を受けていることを、批判することがどうして差別にあたるのだろう。日本のリベラルは面と向かって論戦を挑めばいいのである。排除の論理は相手を根本から論破したことにはならない。鶴見俊輔は安易なレッテル貼りによって相手を貶めたりはしなかった。久野収らとともにナショナリズムを再評価し、イデオロギー以前の大衆のマグマを重視したのである。堂々と言論で行動する保守運動と渡り合えばいいのである。

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移民以前に日本人のアイデンティティを確認するのが先だ!

2016年09月23日 | 思想家

フランスのサルコジ前大統領が述べたことは正論である。サルコジは去る19日、パリ郊外のフランコンビルで移民について演説し「フランス人になりたければ、フランス語を話し、フランス人らしく生きろ。機能しない統合ではなく、同化が必要だ」と訴えた▼フランス国家への心からの忠誠を誓わずして、国籍をだけを求める傾向を批判したのである。多民族国家であるフランスですら、サルコジのような主張がフランス国民のコンセンサスになってきている。にもかかわらず、日本では国籍などどうでもいいかのような議論が横行している。そして、それが世界的な風潮であるかのような言説がまかり通っている▼江藤淳は近代化の負の面として「私は『近代化』をやめろというのではない。しかし、それが民族としての『過去』や『故郷』の喪失をまねきつつあることを、人は知らなければならない。これは、結局、民族のアイデンティティの喪失につながり、古来自己喪失した民族の存続はまことに危ういのである」(『表現としての政治』)と書いた▼江藤の危惧した近代化をさらに加速したのが戦後の日本であった。そこに新たに移民の問題が発生してきているのである。フランスと比べると日本はより深刻である。日本人としてのアイデンティティを見失ってしまっているからだ。移民を受け入れの議論以前に、私たちは日本人であることを取り戻さなくてはならない。日本人であることの意味を再確認することが先なのである。

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