草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

中共や北朝鮮の全体主義国家を甘くみてはならない!

2016年11月30日 | 思想家

全体主義の国家を甘くみてはならない。自由とかに目覚めるのは、体制のタガが緩んでからなのである。とっくに崩壊していいはずの中共や北朝鮮が存続しているのを、誰が説明できるだろうか。中国共産党や金王朝への権限集中であっても、人々はそれに大規模な反乱も起こさず、言いなりのままである。逆に両国は世界中に工作員を潜入させ、自国の利益の確保に全力を傾けている。崩壊するどころか、攻勢に転じてきているのである▼ハンナ・アレントは恐ろしいことを私たちに教えてくれた。ナチスの犯罪について論じながら「言い換えると、犯された最大の悪は、誰でもない人によって、すなわち人格であることを拒んだ人たちよって実行されたことになります」(『責任と判断』ハンナ・アレント、ジェムローム・コーン編中山元訳)と書いたのだった▼今の中共や北朝鮮の人たちにもあてはまることではないだろうか。ノンというにはそれなりのものが必要なのである。アレントはカントの『判断力批判』の「思考することは自分自身との語らいである」との言葉を引用し、人間の自由がどんなものであるか問題にした。それを手にすることができなければ、全体主義に反逆することは困難である。抑圧されているという意識すらもないわけだから、分裂した自我に悩むこともないのだ。全体主義国家を甘くみてはならないのである。

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お花畑から朝日やNHKが抜け出せないのはムラ社会だからだ!

2016年11月30日 | 思想家

朝日やNHKなどのマスコミの多くが戦後の言論空間にこだわり続けるのは、ムラ社会から抜け出せないからである。尾高邦雄は『日本的経営』で独自の日本人論を展開している。マスコミ関係者が所属する組織に気兼ねするのも、集団主義のせいなのである▼「日本人のこれら諸集団への所属の仕方は、各集団にたいする我の所属がそれぞれ全人格的所属であるため、我に相当する小円は、家庭、学校、会社、労働組合、政治的派閥のような諸集団の円周にたいして、常にその内側に位置している。もとより、これらの諸集団が描く円周は、たがいに交錯しうるが、しかしいくらこれらの円周が重なり合っても、我の小円はいつもこれらの円周の内側にあるのである」▼集団主義は特殊主義であり、開かれた普遍的な社会とは異なるのである。所属する集団によって、主義主張まで束縛されるというのは、日本人以外には通用しないというのだ▼ようやくここにきて状況が変わってきた。ネット社会の到来によって、匿名で発言することができるようになり、集団主義からの逸脱が可能となってきた。今後どのようになるかは予測することはできないが、日本人が集団主義に埋没することなく、主体性を確保することが大事であり、「憲法9条擁護」のお花畑の戦後の言論空間が壊れつつあるのは、ネットの力が大きいのである。

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