草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

自己中の山尾志桜里を援護した偏向マスコミを嗤う!

2017年11月10日 | 政局

山尾志桜里を当選させたのが間違いなのである。山尾は「子育て中のママのための政治」と言っておきながら、子供を放置して不倫を重ねていた疑惑について、説明責任を果たさない。その相手とされる倉持麟太郎が政策顧問にするにいたっては、まさしく常軌を逸している。ワイドショーでもかばいきれないようだ▼安倍総理の改憲を阻止するためには、山尾でもよいのが偏向マスコミである。ガソリーヌと揶揄されていることに関しても、山尾は全て秘書のせいにしている。東大法学部を出て検事にまでなった優等生が、その体たらくである。いくら秀才であっても、人間としての常識は欠けているのは、戦後の教育に問題があるからだろう▼教科書を暗記して、模範解答を書くだけの人間は、本当のエリートではない。山尾などは芦部信喜の『憲法』を神聖なものと考えているのだろうが、もはや憲法9条が陳腐であることは、中学生でも理解している。高学歴政治家の大半は思考停止状態である。現実の国際情勢などは存在しないのである▼自分の頭で考える力がない政治家は、今の日本には必要ない。その典型である山尾は、自分が大した人間だと勘違いしている。そうでなければ、倉持を優遇するような愚かなことはしないだろう。


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今求められているのは警世を乱打する日和見評論家だ!

2017年11月10日 | 思想家

日和見という言葉がある。一般的には「なかなか決断しないこと」と使われるが、本来は「天気模様をうかがうこと」の意味なのである。政治や経済について論じるにあたって、これから晴れるのか、それとも暴風になるのか予測するのは重要である。評論家はそれで飯を食べているのであり、そこで真価が問われるのである▼宮田登が「民俗思想の日和見」という一文を書いている。大学時代の思い出として、伊豆半島の岩科を調査したときに、一人の老人が岩に座り、海の方を呆然と眺めていたのに注目した。その老人は魚見役と当時に日和見の役割を担っていたのだ。海の向こうを見て、空の色と風の向きと潮の流れを見て、その合間に魚の群れが動くのがわかる能力の持ち主であった。魚の群れの先頭を見つけると、裏の岩山で拍子木を叩くと、村の若者が船で沖に向かうのである▼漁にとどまらずに、天候がどうなるかは、民衆の暮らしに大きな影響を与える。日和見役は漁村や農村の別なく、かつてはどこの村にも1人か2人はいた。文字として残されていなくても、記憶のもとづく伝承として、語り伝えられてきたのである▼昨今の評論家の多くは、日和見の能力が皆無ではないだろうか。緻密なデーターもなければ、分析力も持ち合わせていない。単なる大衆迎合のレベルでしかない。日和見というと悪いことのように思われがちだが、天候がどうなるかをキャッチするのは、いつの世も大事な仕事なのである。その老人のような評論家は一体どこにいるのだろうか。


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