知の権威が音をたてて崩れている。このときがくると思ってはいたが、やっぱりその日はやってきたのである。朝日新聞の「天声人語」は物笑いの種になり、岩波文庫を置いているような本屋は少なくなった。NHKのニュースもほとんど信用されなくなった▼人々は与えられる情報に満足せず、ネットを通じて色々と検索するようになった。タダ同然でそれが手に入るわけだから、当然の如く自分なりの考えを持つようになるのである。ミッシェル・フーコ―が述べている「言葉が暴力である」ということに気付いたのである。権威は次々と崩壊すればいい。絶えず知は再編されなくてはならない。それこそ構造主義がいう「デコンストラクション」に日本も突入したのである▼日本の思想界が異常なのは、フーコーやジャック・デリダを論じている者たちが、スターリン主義国家の中共や北朝鮮を弁護していることだ。「デコンストラクション」の悪無限に足を払われて、行き場を失ってしまったのだろう。今の日本で構造主義やポストモダンを的確に論評しているのは佐伯啓思くらいである。内田樹や高橋哲哉あたりは混乱の極みである。日本回帰や保守回帰の傾向が強まっているのは、解体する地の向こうに、奪われた日本を取り戻そうとしているからだろう。理解できないようなご高説ではなく、生きていく上で手ごたえがあり、信じられるものを人々は求めているのだから。
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