草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「日本のレーニン」塩見孝也の死が意味するもの!

2017年11月16日 | 思想家

「日本のレーニン」と呼ばれた塩見孝也が一昨日死去した。高校生の頃に「赤軍派軍報」なるものを手にした記憶がある。確か東京戦争を呼びかけたはアジ文で、塩見が書いたのではないだろうか▼赤軍派は69年9月5日の全国全共闘結成大会に初めて登場し、一躍脚光を浴びるようになった。すぐに火炎瓶闘争により大阪戦争、東京戦争に決起し、首相官邸を武総占拠するための軍事訓練中の53名が大菩薩峠で逮捕されたのは11月5日のことであった。翌70年1月になって、赤軍派議長の塩見が「国際根拠地論」を主張し、世界同時革命に向けて、北朝鮮、中東、キューバに活動の場を移そうとした▼3月31日にはよど号のハイジャック事件が起きた。それに先立つ15日に塩見は逮捕されており、実際に指揮することはできなかったが、その意を受けて決行したのだった。それ以降は組織が弱体化し、日共革命左派と「連合赤軍」を結成し、あさま山荘事件を引き起こした。72年5月30日のテルアビブ空港乱射事件は、赤軍派の流れをくむ日本赤軍の犯行であった▼塩見の死が教えてくれるのは、共産主義を名乗る者たちの革命がもはや時代遅れであるということだ。赤軍派の諸君の思いとは裏腹に、革命のために世界に雄飛した者たちは、心情倫理においていかに崇高であっても、その地でコマンドとして利用されるか、さもなければ協力者に仕立て上げられた。もはや今は「日本のレーニン」は誉め言葉ではなくなったのである。


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玉木雄一郎や朝日を名指しして批判した足立康史は侍だ!

2017年11月16日 | 政局

野党を批判する野党があってもいい。ろくな議論もできない立憲民主党や希望の党をこき下ろせば、国民は拍手喝采なのだから、日本維新の会の足立康史は臆することなく国会の場で発言すればいいのである▼昨日の文部科学委員会での足立の質問は、自らがツイッターで語っていたように、加計学園問題における野党の姿勢と朝日新聞のフェイク報道に関して、質疑時間20分のうちの半分強が費やされた。とくに獣医師界から献金を受けている希望の党代表の玉木雄一郎や、立憲民主党幹事長の福山哲郎については、名指しして「斡旋利得罪あるいは斡旋収賄罪ではないのか」と質した。その上で足立は「疑惑のある国会議員に質問する場をつくる」ことを提案したのである▼今年は一回も「党首討論」が行われていない。一方的な質問形式でなく、お互いがやりあうことでボロが出ることを野党の方が恐れているのである。立憲民主党代表の枝野幸男は、安倍総理から革マルとの関係について説明が求められれば、立往生するのは目に見えている。玉木だって獣医師界とのことが話題になるのは明らかである。得をするのは与党ばかりだという判断から、民進党のときから野党は逃げ回っている▼それこそマスコミの各種世論調査の結果からも、「モリカケ」しか安倍総理を追及できない野党に国民の多くは辟易している。足立は暴論を吐いているわけではなく、そうした国民の声を代弁しているだけなのである。


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