危機の時代にあっては、それにふさわしい行動原理がなくてはならない。和辻哲郎は『倫理思想史下』の「吉田松陰」の章において、「明治維新」を成し遂げた精神について触れている▼それが何であるかは「尊王思想が討幕の実践運動に転化して過程にはっきり読み取ることができる」というのだ。「シナ古代に典拠を求めていた尊王攘夷の論は、日本人が欧米の圧迫によって日本を一つの全体として自覚するとともに、その鉾を幕府の封建性に向け、武家社会成立以前の国民的統一を回復しようとする主張に変わって行ったのである。その際日本の第一期以来の天皇尊崇の感情が、儒教、国学、歴史などのいろいろの出口からほとばしり出て、この国民的統一の指導原理となったことは、何人も認めざる得ない点であろう」▼「第一期」というのは、和辻によれば古代における国民的な統一を意味する。「天皇尊崇」の宗教的な絆で日本人が結束していたとの立場から、そこへ復帰する運動として「明治維新」を位置付けたのである。和辻が主張する文化的な天皇というのは、世俗的な政治権力が行き詰ったときに、それを打開するための最終的な切り札なのである。それがなくなってしまえば、もはや日本は日本ではないのである。日本を守り抜くために、日本人としての絆を確認したのが「明治維新」であった。国難に処した先人の精神を、もう一度私たちは思い起こすべきではないだろうか。
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