草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

無法者の韓国に日本国民は怒りの声を上げるべきだ!

2019年01月10日 | 国際問題

文在寅の新年にあたっての発言を聞いて、多くの日本国民は怒り心頭に発したはずだ。国際法をまったく無視して、日本を悪者にするためには手段を選ばない。それが文在寅の韓国なのである。いわゆる「元徴用工」への日本企業への賠償を命じる韓国大法院の判決を、こともあろうに文在寅は支持したのである▼そこまで馬鹿にされたわけだから、日本は韓国と断交すべきだし、強力な制裁を加えなければならない。朴槿恵の時代から韓国の日本叩きは異常であったが、北朝鮮の傀儡である文在寅はそんなものではない。常軌を逸しており、いくら韓国国民であっても、自分たちが孤立しつつあることに気づきつつあるのではないか。しかし、もはや遅い。治安を担当する警察や、国防の第一線に立っている者たちも腑抜けになってしまっており、韓国は終わったのである▼ここまで韓国を付け上がらせたのは、多くのマスコミが韓国を糾弾する者たちを「排外主義者」と決めつけたからだ。ヘイトスピーチ法なるものを成立させた政治家にも責任がある。もっと早い段階で日本人が怒っていたなら、韓国だってここまではできなかったはずだ。やられたらやり返すべきであり、黙っていることは認めたと同じなのである。おとなしくしていては駄目だ。無法者の韓国に日本国民は怒りの声を上げるべきなのである。

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権謀術策だけで「畏れの意識」のない政治家は駄目だ!

2019年01月10日 | 思想家

今の世界の政治的指導者に対して懐疑的にならざるを得ない。トランプばかりではなく、プーチンや習近平にも不安を感じててならない。坂本多加雄はマックス・ウェーバーの『職業としての学問』を引き合いに出しながら、政治家が背負うべき倫理観について論じていた▼「ウェーバーによれば、政治は『道徳的にいかがわしい手段』を不可欠とする。こうした手段の行使に倫理的立場から躊躇する者は、政治に携わるべきではない。しかし、他方で、あえて政治に関わろうとする者は、そのことが、自分の『魂の救済』を危うくするのではないかという畏れの意識を常に保ち続けていなければならないというのである」(『知識人大正・昭和知識人断章』)▼「畏れの意識」を政治家が持っているかどうかなのである。トランプやプーチンにはキリスト教的な伝統があるとしても、彼ら自身のなかでそれが危うくなっているのではないだろうか。今なお共産主義の呪縛から解放されない習近平は、一体何を精神的な拠り所としているのだろうか▼翻って日本の政治家は、何に対して「畏れの意識」を抱いているのだろうか。坂本は福田恆存の「自己が居るべきところに居るという実感」(『人間・この劇的なもの』)という言葉に注目する。一つの人生の劇を想定して、そこでの役割を確認するということで、絶対を手にするといった、独自の日本人論を福田は展開したからである。坂本はそうした福田の主張も紹介しながら、政治家が背負うべき十字架の重さを問題にしたのである。「畏れの意識」のない政治家が世界を滅びに導くのであり、まともな政治指導者がいないための危機が迫っているのではないだろうか。

 

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