平成の御代も残すところ後わずかとなった。今こそ私たちは万葉集を手に取るべきではないだろうか。その手引書となるのは、保田與重郎の『万葉集の精神』である▼そこで保田は、斎藤茂吉らの「感動の写生主義と考え、文芸思想としては素撲剛健」といった見方を批判した。保田は日本人として大切なものを、万葉集に見出したのである。「我々は長い間、日本人の考えた学問という考え方を見失っていたのである。彼らは文学によってみちをたてることしか考えなかったのである。道を立てるとは、志を述べることであった」▼保田が注目したのは大伴家持であった。柿本人麻呂に代表される「神の如き慟哭の悲歌」に対して、家持は「文化の国家意識」を代弁したというのだ。藤原氏との権力闘争に敗れたがゆえに、志の高さで一矢報いたのである。「不遇をかこった大伴氏の詩歌によって、彼らが終末の意識に於てなお、生甲斐を味った大君の思想を考えうることは、我々が古歌にもつよろこびの一つである」と書いた保田は、大君の御代を讃えた祝い歌に、家持の志の高さを看取した▼「新しき年の始の初春の今日降る雪のいや重(し)け吉事」。「吉事が重り重りあらわれよ」というのは、令和の御代を前にした私たちの願いと同じではないだろうか。いかなることがあろうとも、大君を中心にしてまとまってきたのが日本の国柄であり、それを教えてくれるのが家持の歌なのである。
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