今の日本の政治家に求められるのは、コンセンサスではなく信念ではないか。サッチャーの功罪はともあれ、彼女は「私は信念の政治家です」と口癖のように言った。勝田吉太郎は『思想の旅路』において、サッチャーのその言葉を取り上げ、今の日本の政治家がコンセンスばかリ重視しているのを批判した▼私たちが保守政治家安倍晋三に期待したのも、そのことではなかったろうか。奇跡的な再登板を果しながら、政権が長期化するにつれて、次々と私たちを裏切るような政策を推し進めている。国家として身構えなくてはならないときに、グローバリズムに屈服するのは、まさしく愚の骨頂である▼欧米の社会を手本にして自我の確立のこだわる識者がいるが、その結果が人心の荒廃ではないだろうか。勝田は日本を「水墨画社会」と命名した。「水墨画はすみ一色の濃淡で描かれていて、ものとものとの境界線がぼやけている。このことは人間関係にも言えるのではないか」との見方を示したのだ▼自他の境界線を明確にするのが幸福であるかどうか、私たちは立ち止まって考えるべきだろう。安倍首相は「瑞穂の国の資本主義」を提唱していたのではなかったか。当初は日本の良さを生かした資本主義を模索するはずであった。しかし、目下推進しているのは、まったく逆のことである。竹中平蔵らの口車に乗って、逆に日本を貶めているように思えてならない。信念を曲げるのは変節漢である。そう呼ばれて安倍首相は恥ずかしくないのだろうか。
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