草莽隊日記

混濁の世を憂いて一言

「令月」と「風和やかに」の言葉こそが万葉集の精神だ!

2019年04月04日 | 歴史

我が民族の原点は万葉集である。今回の新元号はそれを思い出させるきっかけになった。「令和」の典拠は、万葉集巻第五の「梅花の歌。三十二首竝びに序」であった。大伴旅人の手になる「天平二年正月十三日、帥老の宅に萃(アツマ)り、宴曾を申(ノ)べつ。時に初春の令月(ユキツキ)にして、氣淑(キヨ)く風和やかに」の「令月」と「風和やかに」の「令」と「和」を結び付けたのである▼解釈すれば「大宰府の長官のもとに集まって宴会を開いた。めでたい月ということもあって、居合わせた人びとも穏やかで、気持ちが通じ合っている」ということだろう。グローバリズムに抗するには、日本人の一体感がどこにあるか再確認しなくてはならず、時宜を得た言葉である▼日本浪漫派の保田與重郎は『日本文學史』において「万葉集の成立に、意企や野心がなく、ただ自然がこの無比の文學をつくったということは、そのころのわが遠祖たちがすなおに信じたことばでいえば、神随(カムナガラ)、神の自然の性、人の思いや人の意志というものではなく、自然、神の性を見きはめて、それに従ったのである。こういう理想の状態によってつくられたのだ、しかし作った人はそういうものを志とした」と書いている。保田が心打たれたのは「一つの変革期に対応する人の志」であり、個々の人間の欲望や党派を超越した精神であった。だからこそ「令月」と「風和やかに」の境地に達したのである。

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コメント (3)
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