池袋での元キャリア官僚による暴走事故をきっかけにして、上級国民への風当たりが強まっている。マスコミは防戦に努めているが、必死になればなるほど、上級国民の手先と思われるだけだ。逮捕されないのは、怪我をしていることや、年齢的なこともあるからだろう。しかし、フランスと同じようなことが日本でも起こりかねず、甘く見るべきではない▼今の日本が混乱しているのは、上級国民がノブレス・オブリージュを失ってしまったからだ。社会的な地位が高ければ高いほど義務が伴う。その責任感が欠如しているのである。運転がおぼつかないことを知りながら、ハンドルを握るというのは、まさしくその典型である▼佐伯啓思は福田恆存の『日本を思ふ』の文章を引用しながら「福田恆存がいうように、明治の幕開けにおける天皇の登場は、むしろ日本に絶対的なものが存在しないという空虚感を埋めるためのものであったというべきであろう」(『国家についての考察』)と書いている▼敗戦によって「天皇国家共同体という情念の求心力が失われた」ことで、上級国民は忠誠対象を見失ってしまったのだ。小室直樹は「急性アノミー」という言葉で表現したが、そこから未だに抜け出せないでいる。日本を取り戻すためには、下級国民から慕われてきた天皇像というものを復権させなくてはならない。明治維新からたかだか150年のことよりも、今年は皇紀二六七九年であることを、私たちは思い起こすべきなのである。
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