私たち日本人が立ち返るべき世界があることを、新元号の「令和」は教えてくれた。典拠は万葉集巻第五の「梅花の歌。三十二首竝びに序」であるが、それに続く歌も、その序文にふさわしい作品が並んでいる▼とくに山上憶良の「春さればまづ咲く宿の梅の花、独り見つゝや、春日暮さむ」は、折口信夫によれば「この邸の梅の花は、春がくると、第一番に咲く花だ、それを自分ひとりだけ見て、永い春の日をば、楽しんでゐてもしやうがない。人と共に楽しまう」(『口譯万葉集上』)ということである▼梅の花を観賞するにも、孤独な世界に閉じこもるのではなく、「人と共に楽しもう」ということで、喜びが二倍にも三倍にもなるのである。葛井大夫の「梅の花今盛りなり。思ふどち插頭(カザシ)にしてむ。今盛りなり」という歌にしても、「仲よし同士、頭にさして遊ばうよ。今眞盛りである」(『口譯万葉集上』)ということなのであり、かつての日本人には、共通のベースがあったのだ▼「令和」については、国民の圧倒的多数が評価しており、万葉集が一大ブームになりつつある。歌の中心は飛鳥浄御原宮から聖武天皇の奈良京であり、保田與重郎は「壬申の乱と、奈良京定着まへの席暖まる暇もない都遷りといふ変動期に、この最も美しい詩歌の集はその大半がつくられてゐた」(『日本の文學史』)と書いている。我が国は今激動の時代の只中にある。それだけになおさら、「令和」の御代の日本人に必要なのは、万葉集の美しい調べに感動する心なのである。
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